天幻才知

なぜ会議は時間の無駄なのか

「この会議、メールで済むんじゃないか?」そう思ったことが一度もない人は、恐らく存在しない。にも関わらず、会議は減らない。むしろ増え続けている。これには構造的な理由がある。

──── 会議の真の目的は「会議をすること」

多くの会議において、参加者は「何のために集まったのか」を正確に説明できない。

議題はあるが、求められる成果が不明確。情報共有なのか、意思決定なのか、合意形成なのか。目的が曖昧だから、終了条件も曖昧になる。

結果として、会議は「一定時間話し合うこと」が目的化する。時間が来れば自動的に終わり、また次回の会議が設定される。

これは「会議のための会議」という自己目的化の典型例だ。

──── 情報共有という名の時間泥棒

「情報共有のため」と称される会議の大部分は、実際には必要ない。

一人が話し、他の人が聞く。これは放送と同じ構造だ。双方向性が必要ない情報であれば、文書やメールで十分なはずだ。

しかし「みんなで共有することに意味がある」という曖昧な価値観によって、非効率な情報伝達が正当化される。

実際のところ、多くの参加者にとって、その情報は関係ない。関係のない情報を聞かされる時間は、純粋な損失だ。

──── 意思決定の先送り装置

「意思決定のため」の会議も、実際には意思決定を遅らせることが多い。

決定権者が不明確だったり、全員の合意を得ようとしたり、追加の検討材料を求めたり。様々な理由で「次回までに検討」となる。

会議をすることで「意思決定に向けて進んでいる」という錯覚が生まれるが、実際は時間だけが消費される。

本当に重要な意思決定は、会議の外で行われることが多い。会議は既に決まったことを発表する場でしかない。

──── 社会的承認欲求の発散場

会議には「発言する機会」という隠れた価値がある。

普段は目立たない人が、会議で積極的に発言することで存在感を示そうとする。的外れでも、長時間でも、とにかく話したがる。

これは個人の承認欲求を満たすが、組織全体の時間効率は犠牲になる。

会議の時間が長くなればなるほど、このような「自己表現タイム」の占める割合が増加する。

──── 責任回避のための儀式

会議には「みんなで話し合った」という既成事実を作る機能がある。

何か問題が起きたとき、「会議で決めたことだから」「みんなで合意したから」と責任を分散できる。

個人で決断するリスクを避け、集団の総意という形にすることで、責任の所在を曖昧にする。これは組織的な責任回避の手法だ。

──── 階層構造の維持装置

会議は権力構造を可視化し、再生産する場でもある。

誰が発言権を持ち、誰が決定権を持ち、誰が従うのか。席順、発言順、発言時間、これらすべてが組織内の序列を反映する。

上司にとって会議は、自分の権威を確認し、部下に対する支配力を行使する機会だ。効率性よりも、権力関係の維持が優先される。

──── リモートワークが暴いた真実

コロナ禍によるリモートワークの普及は、会議の本質を明らかにした。

対面でなければできない会議と、オンラインでも問題ない会議の区別が明確になった。そして、多くの会議が後者だったことが判明した。

さらに、録画機能によって「この会議、誰も後から見返さないよね」という現実も浮き彫りになった。

重要な内容であれば録画を見返すはずだが、実際にはほとんど再生されない。これは会議の内容が、実はそれほど重要でないことを示している。

──── 効率化への抵抗

会議の効率化を提案すると、必ず反対意見が出る。

「顔を合わせることに意味がある」「雑談から生まれるアイデアもある」「チームワークが大切」といった、測定困難な価値を持ち出す。

これらは間違いではないが、時間コストを無視した議論だ。1時間の会議に10人が参加すれば、10時間分の人件費が消費される。その価値に見合う成果が得られているかは疑問だ。

──── 会議中毒という病気

多くの管理職が「会議中毒」に陥っている。

会議をすることが仕事をしている実感につながり、会議の数が自分の重要性の指標になる。忙しくしていることが有能さの証明だと勘違いしている。

実際は、会議に時間を取られすぎて、本来の業務に集中できない状態だ。しかし本人は「重要な会議に参加している忙しい人」という自己イメージに酔っている。

──── 代替手段の無視

現代には会議に代わる効率的なツールが数多く存在する。

非同期コミュニケーション、文書共有、投票システム、プロジェクト管理ツール。これらを組み合わせれば、多くの会議は不要になる。

しかし「やっぱり会議でないと」という固定観念によって、新しい手法の導入が阻まれる。

変化への抵抗と、従来の慣習への執着が、非効率を温存している。

──── 時間という有限資源

最も重要なのは、時間が回復不可能な資源だということだ。

無駄な会議で失われた1時間は、二度と戻らない。その1時間で他にできたであろうことの機会費用は計り知れない。

集中して取り組むべき仕事があるのに、関係のない会議に呼び出される。これは個人の生産性を著しく阻害する。

──── 解決への処方箋

会議の問題は構造的なものだが、個人レベルでできることもある。

会議の目的と成果物を事前に明確化する。必要のない参加者は招待しない。時間を厳守し、脱線を防ぐ。議事録よりも具体的なアクションアイテムを重視する。

そして最も重要なのは「この会議、本当に必要ですか?」と問い続けることだ。

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会議が時間の無駄になる理由は、構造的で複合的だ。情報共有の非効率性、意思決定の先送り、承認欲求、責任回避、権力維持。これらが複雑に絡み合って、会議を自己目的化させている。

解決には、組織文化の変革と個人の意識改革の両方が必要だ。しかし、まずは現状を正確に認識することから始めたい。

あなたが今日参加した会議は、本当に必要でしたか?

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※本記事は一般的な傾向について述べており、すべての会議を否定するものではありません。効果的に運営される会議の価値は認めた上で、改善の余地について考察しています。

#会議 #生産性 #組織運営 #意思決定 #時間管理 #コミュニケーション