天幻才知

ベンチャーキャピタルという博打資本主義

ベンチャーキャピタル(VC)は、現代資本主義の最も純粋で残酷な形態かもしれない。それは伝統的な投資とは根本的に異なる論理で動いている。

──── 10倍リターンという前提

VCの投資モデルは、ポートフォリオの大部分が失敗することを前提としている。

典型的なVCファンドでは、10社に投資して7社が失敗、2社が横ばい、1社が10倍以上のリターンを生み出すことで全体の収益を確保する。

この「1社で全体をカバーする」モデルは、投資対象企業に異常な成長圧力を与える。単に利益を上げるだけでは不十分で、指数関数的な成長が求められる。

結果として、本来は堅実に成長できたであろう企業も、無理な拡大を強いられ、破綻のリスクを高める。

──── スケーラビリティの暴力

VCが投資を決定する最重要基準は「スケーラビリティ」だ。

どんなに優れたビジネスモデルでも、急速に拡大できなければ投資対象とならない。地域密着型サービス、職人的技能、長期的な信頼関係に基づくビジネスは、原理的に排除される。

これは経済活動の多様性を破壊する。VCマネーが流入する分野では、スケーラブルなモデルのみが生き残り、それ以外のアプローチは淘汰される。

町の本屋がAmazonに駆逐されるのと同じ構造が、あらゆる分野で進行している。

──── 時間軸の歪み

VCファンドには明確な投資期間(通常7-10年)があり、その期間内でのExit(売却・上場)が前提となる。

この時間的制約は、企業の自然な成長サイクルを無視する。本来は20年かけて築くべき価値を、5年で実現することを求められる。

結果として、短期的な成長指標(ユーザー数、売上高)が優先され、長期的な持続可能性や社会的価値は軽視される。

多くのスタートアップが「成長のための成長」に陥り、本質的な価値創造を見失う。

──── バリュエーションという虚構

スタートアップの企業価値算定は、従来の財務指標では説明できない。

売上がほぼゼロの企業が数百億円で評価され、赤字を垂れ流し続ける企業が上場を果たす。この評価は将来の成長ポテンシャルに基づくものだが、その多くは実現されない。

WeWork、Theranos、FTXなど、高い評価を受けながら破綻した企業の事例は枚挙にいとまがない。

これらの企業価値は、客観的な資産や収益力ではなく、投資家の期待と市場の熱狂によって決まっていた。

──── 社会的コストの外部化

VCモデルの社会的コストは、投資収益の計算に含まれない。

Uberは既存のタクシー業界を破壊したが、運転手の労働条件悪化や交通渋滞の増加といった社会的コストは同社の損益計算書に現れない。

Facebookは巨大な広告収益を上げているが、偽情報拡散やプライバシー侵害、精神健康への悪影響といった社会的コストは外部化されている。

VCが支援する企業の多くは、既存の規制や社会システムの隙間を突いてスケールするため、必然的に社会的摩擦を生み出す。

──── 格差拡大の加速装置

VCは資本主義における格差拡大を著しく加速させる。

成功した起業家や初期投資家は、短期間で桁違いの富を獲得する。一方で、その過程で多数の企業が破綻し、従業員や取引先が損失を被る。

さらに、VCに投資できるのは既に富裕な個人や機関投資家に限られる。結果として、「金持ちがより金持ちになる」システムが高度化される。

創業者が一夜にして億万長者になる一方で、その企業で働く従業員の多くは不安定な雇用条件に置かれる。

──── イノベーションという免罪符

VCモデルのあらゆる弊害は、「イノベーション促進」という大義名分で正当化される。

確かに、VCは多くの技術革新を支援してきた。インターネット、スマートフォン、クラウドコンピューティングなど、現代社会の基盤技術の多くはVC投資によって発展した。

しかし、イノベーションの価値があらゆる社会的コストを相殺するかは疑問だ。

真に社会に有益なイノベーションと、単に投資家の利益を最大化するための「イノベーション」を区別する必要がある。

──── 金融化された起業

現代のスタートアップ起業は、事業創造というよりも金融商品の開発に近い。

創業者の多くは、実際にビジネスを運営することよりも、投資家への売り込みと資金調達に時間を費やす。

プロダクト開発よりもピッチデッキ作成が重要視され、顧客の声よりも投資家の期待が優先される。

これは起業本来の目的である「社会課題の解決」や「価値創造」から大きく乖離している。

──── 代替モデルの可能性

VCモデルの問題を認識すると、代替的な資本調達・事業成長モデルの価値が見えてくる。

クラウドファンディング、レベニューベース投資、協同組合、ファミリービジネス、これらはすべてVC的な「爆発的成長」とは異なる論理で動いている。

重要なのは、これらのモデルが必ずしもVCモデルに劣るわけではないということだ。持続可能性、社会的価値、従業員の福祉といった観点では、むしろ優れている場合が多い。

──── システムとしての評価

VCを悪魔化することは建設的ではない。問題は個々のVCファームや投資家ではなく、システム全体の構造にある。

現在のVCモデルは、特定の経済環境(低金利、豊富な流動性、技術革新の加速)において最適化されたものだ。

しかし、その環境が変化すれば、モデル自体も変化する必要がある。気候変動、社会格差、技術的リスクが顕在化する中で、従来の「成長至上主義」は持続不可能になりつつある。

──── 個人レベルでの対処

VCシステムの中で働く個人にとって、重要なのは現実を正確に理解することだ。

スタートアップに参加する際は、その企業が「博打の駒」である可能性を認識すべきだ。高い報酬や株式オプションの魅力的な話の裏には、高い失敗確率が隠れている。

一方で、VCシステムを完全に回避することも現実的ではない。重要なのは、自分の価値観とリスク許容度に基づいて適切な選択をすることだ。

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ベンチャーキャピタルは現代経済の重要な構成要素だが、それは完璧なシステムではない。

その本質は「博打資本主義」であり、巨大なリターンの可能性と引き換えに、社会全体が高いリスクとコストを負担している。

この現実を理解した上で、より持続可能で社会的価値の高い経済システムを模索することが、今求められている。

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※本記事は特定の企業や投資家を批判するものではありません。システムの構造分析を目的とした個人的見解です。

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