天幻才知

大学受験産業という利権構造

大学受験は単なる教育制度ではない。それは日本社会で最も精巧に設計された利権構造の一つだ。この構造は、表向きは「公正な能力評価」を謳いながら、実際には既存の社会階層を固定化し、関連業界に莫大な利益をもたらしている。

──── 受験産業の規模

大学受験関連市場は年間1兆円を超える巨大産業だ。

予備校・塾業界だけで約1兆円、参考書・問題集市場で約300億円、模擬試験で約100億円、さらに家庭教師、通信教育、オンライン学習サービスが加わる。

これらの数字は氷山の一角に過ぎない。受験生の親が支払う交通費、宿泊費、食費、さらには「受験うつ」治療のための医療費まで含めれば、経済効果は数倍に膨らむ。

一人の受験生が高校3年間で消費する受験関連費用は、平均200万円を超える。これが毎年約120万人の受験生によって繰り返される。

──── 予備校という巨大利権

予備校業界の収益構造は極めて効率的だ。

一度作成した授業コンテンツを、何千人もの生徒に対して反復使用できる。カリスマ講師の授業を録画すれば、全国の校舎で無制限に再生可能だ。

「合格実績」という宣伝材料は、優秀な生徒を集める磁石となり、さらなる優秀な生徒を引き寄せる正のスパイラルを生む。

重要なのは、予備校の真の商品が「教育」ではなく「安心」だということだ。親は子供の将来への不安を解消するために、高額な授業料を支払う。

この心理的需要は価格に対して非弾力的で、不況時でも需要が減りにくい。

──── 出版業界との共生関係

参考書・問題集市場は、予備校業界と密接に連携している。

有名予備校講師の著書は、講師のブランド力によって確実に売れる。一方で、出版実績は講師の権威を高め、さらなる集客に繋がる。

この相互補完関係は、新規参入者を排除する高い参入障壁を形成している。

さらに、毎年の入試制度変更に合わせて「改訂版」を出版することで、継続的な収益を確保している。

受験生は古い参考書を使うことを恐れ、毎年新しい教材を購入する。実際の変更点はわずかでも、「最新情報」という価値で高値での販売が可能だ。

──── 大学側の思惑

大学にとって、受験システムは優秀な学生を効率的に選別する装置として機能している。

しかし、それ以上に重要なのは、「難関校」としてのブランド価値の維持だ。

偏差値システムによる大学ランキングは、大学の社会的地位を決定し、卒業生の就職先、研究予算の配分、優秀な教員の獲得に直結する。

このため、大学は意図的に合格者数を絞り、偏差値を高く維持しようとする。社会全体の利益よりも、個別の大学利益が優先される構造だ。

「大学全入時代」と言われながらも、上位校の競争が激化し続けるのはこのためだ。

──── 文科省という調整者

文部科学省は、この利権構造の調整者として機能している。

入試制度改革の度に、関連業界に新たなビジネスチャンスを提供する。センター試験から共通テストへの変更、記述式問題の導入検討、英語民間試験の活用案など、すべて新たな市場創出に繋がった。

これらの改革は「教育の質向上」として正当化されるが、実際には既存業界の利益拡大に寄与している場合が多い。

文科省OBの天下り先として、教育関連企業が重要な受け皿になっていることも、この構造を強化している。

──── 社会階層の固定化装置

この利権構造の最も深刻な問題は、社会階層の固定化に寄与していることだ。

高額な受験費用は、経済的に恵まれた家庭の子供に圧倒的有利さをもたらす。一方で、経済的に困窮した家庭の子供は、最初から競争から排除される。

「努力すれば報われる」という建前の下で、実際には「資金力のある家庭の子供が有利」という現実が隠蔽されている。

受験システムは「公正な能力評価」を装いながら、実際には親の経済力による選別を行っている。

──── 国際比較から見る異常性

日本の大学受験システムの特異性は、国際比較によって浮き彫りになる。

多くの国では、大学入学資格試験は年に複数回実施され、複数年にわたって有効だ。一発勝負ではなく、複数回のチャンスが与えられる。

また、入学後の成績や卒業難易度が重視され、入学時点での序列化は日本ほど絶対的ではない。

日本のように「一回の試験結果が人生を決める」システムは、先進国では稀だ。この特異性こそが、受験産業の肥大化を可能にしている。

──── 既得権益の自己保存メカニズム

この利権構造は、強力な自己保存メカニズムを持っている。

制度変更は必ず「関係者との十分な調整」を経て行われる。その関係者とは、既存の利益受益者たちだ。

彼らは制度の抜本的改革ではなく、自らの利益を維持・拡大できる範囲での「微調整」を主張する。

結果として、本質的な問題は放置されたまま、表面的な改革が繰り返される。

「ゆとり教育」からの揺り戻し、詰め込み教育への回帰、アクティブラーニングの導入など、教育方針は目まぐるしく変わるが、受験システムの根本構造は不変だ。

──── デジタル化という新たなビジネスチャンス

最近のデジタル化の波は、受験産業に新たなビジネスチャンスをもたらしている。

オンライン授業、AI学習システム、デジタル教材、アプリベースの学習サービス。これらはすべて「革新的教育技術」として宣伝されるが、実際には既存の利権構造をデジタル領域に拡張しただけだ。

コロナ禍での遠隔授業需要の急増は、この傾向を加速させた。

しかし、デジタル化によって教育コストが劇的に下がったという話は聞かない。むしろ、新たな機器購入費、通信費、ソフトウェア利用料が家計負担に加わっている。

──── 個人レベルでの対処法

この構造的問題に対して、個人レベルでできることは限られている。

しかし、少なくとも「受験産業の顧客」になることを前提とした思考から脱却することは可能だ。

海外大学への進学、総合型選抜の活用、専門学校や職業訓練校という選択肢もある。また、受験勉強の大部分は独学でも可能だという現実もある。

重要なのは、「大学受験こそが唯一の正解」という社会的圧力に惑わされず、個人の目的に応じた合理的選択をすることだ。

──── システム変革の可能性

抜本的なシステム変革には、政治的な意思決定が必要だ。

しかし、現在の政治システムでは、教育関連業界は重要な支持基盤の一つであり、その利益に反する政策は実現困難だ。

変革の可能性があるとすれば、外圧による変化だろう。グローバル化の進展により、日本の教育システムの非効率性が国際競争力の足枷となることが明白になれば、改革圧力は高まる。

また、少子化による市場縮小は、業界再編を促し、既存構造の変化をもたらす可能性がある。

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大学受験産業は、教育という崇高な理念を看板に掲げながら、実際には巨大な利権構造として機能している。

この構造は、社会階層の固定化を促進し、個人の多様な可能性を画一的な序列に押し込める弊害をもたらしている。

問題は、この構造があまりにも巧妙に設計され、社会に深く浸透しているため、多くの人がその存在に気づかないことだ。

真の教育改革は、この利権構造の解体なしには不可能だろう。

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※本記事は現行教育制度の構造分析を目的としており、個別の教育機関や関係者を批判するものではありません。個人的見解に基づいています。

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