人生は slither.io だと思う。
slither.ioというゲームがある。小さな蛇から始まって、光る点を食べて成長し、他の蛇にぶつかると死ぬ。シンプルだが、これが人生の本質を驚くほど正確に表現している。
──── 最初はみんな同じ小ささ
誰もが小さな蛇として始まる。生まれたときの条件に多少の差はあっても、基本的にはみんな似たようなスタート地点だ。
重要なのは、この時点では誰も特別ではないということ。後に巨大になる蛇も、最初は他の蛇と区別がつかない。
人生も同じだ。後に偉大な業績を残す人も、最初は平凡な一個人として始まる。
──── 成長は加速度的
slither.ioで面白いのは、大きくなればなるほど、さらに大きくなりやすくなることだ。
大きな蛇は小さな蛇よりも多くの光る点を効率的に集められる。移動範囲が広く、選択肢も多い。一方で小さな蛇は、大きな蛇の隙間を縫って細々と生き延びるしかない。
これは現実の「富める者はより富み、貧しき者はより貧しくなる」現象そのものだ。
成功者は成功によってさらなる成功の機会を得る。人脈、資金、影響力、それらすべてが次の成功への投資材料になる。
──── 死は一瞬、リセットも一瞬
どんなに巨大になった蛇でも、一度他の蛇にぶつかれば即座に死ぬ。何時間もかけて築いた成長が、一瞬でゼロになる。
しかし、ゲームオーバーの瞬間に「Restart」ボタンが現れる。クリックすれば、また小さな蛇として新しいゲームが始まる。
人生における「死」は文字通りの死だけではない。事業の失敗、関係の破綻、健康の悪化、評判の失墜。これらもすべて一種の「死」だ。
しかし、本当の意味での終わりではない。多くの場合、また小さなところから再開することができる。
──── 他者との相互作用
slither.ioでは他の蛇の存在が欠かせない。彼らは脅威であり、同時に機会でもある。
大きな蛇が死ねば、その場に大量の光る点が散らばる。それは周りの小さな蛇たちにとって成長の絶好のチャンスだ。
人生も同様に、他者なしには成り立たない。競合他社の失敗は自社のチャンス、先駆者の築いた道は後続者の近道、誰かの引退は誰かの昇進機会。
すべては相互に関連し合い、影響し合っている。
──── 戦略の重要性
上手なプレイヤーは、ただ闇雲に光る点を追いかけない。
リスクとリターンを計算し、安全な成長ルートを選び、時には大胆な賭けに出る。大きな蛇の動きを読み、その隙を突く。包囲されそうになったら素早く逃げる。
人生における戦略思考も同じだ。目先の利益に飛びつかず、長期的な視点で行動を選択する。リスクを適切に評価し、時には保守的に、時には積極的に動く。
──── ゲームに終わりはない
slither.ioに「クリア」はない。どんなに大きくなっても、いつかは死ぬ。そしてまた新しいゲームが始まる。
人生も同じかもしれない。明確なゴールがあるわけではない。成功の定義も人それぞれだ。重要なのは、プレイし続けることそのものなのかもしれない。
──── だから何だというのか
「人生はゲームだ」という比喩は古い。しかし、slither.ioという具体的なゲームとの比較は、いくつかの示唆を与えてくれる。
成長の複利効果、一瞬の油断による転落、他者との相互依存、戦略の重要性、そして終わりなき継続。
これらを理解した上でゲームをプレイするのと、無自覚にプレイするのでは、結果が大きく変わる。
人生というゲームも、同じだ。
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※この記事は個人的な思考実験であり、人生を単純化しすぎているという批判は甘んじて受け入れる。しかし、時には複雑な現実をシンプルなモデルで捉え直すことにも価値があると信じている。