プロダクトマネジメントという責任回避システム
プロダクトマネージャー(PM)という職種が急速に普及している。しかし、その実態を冷静に観察すると、これは責任を曖昧化し、失敗を分散させるための巧妙なシステムとして機能していることが分かる。
──── 責任の希釈装置
従来のプロジェクトでは、失敗の責任は明確だった。開発責任者、営業責任者、企画責任者。それぞれが明確な役割と責任を持っていた。
プロダクトマネージャーの導入により、この構造は根本的に変わった。
プロダクトの成否について、誰が最終責任を負うのか曖昧になった。PMは「調整役」「橋渡し役」として位置づけられ、具体的な実行権限を持たない場合が多い。
結果として、失敗時には「関係部署の連携不足」「市場環境の変化」といった抽象的な理由で責任が回避される。
──── 意思決定の外部化
PMの重要な機能の一つは、難しい判断を「データ」や「ユーザーの声」に委ねることだ。
「ユーザビリティテストの結果、この機能は不要でした」 「A/Bテストの結果、この仕様に決定しました」 「市場調査の結果、この方向性が最適でした」
これらの判断は、表面的には科学的で合理的に見える。しかし実際には、意思決定の責任を外部のデータに転嫁しているに過ぎない。
重要な判断を下す勇気と責任を回避し、「データが示している」という言い訳を用意している。
──── 失敗の予防線
PMという役職の巧妙さは、失敗に対する予防線の張り方にある。
プロダクトが成功した場合:「PMの戦略とマネジメントが功を奏した」 プロダクトが失敗した場合:「市場環境」「技術的制約」「リソース不足」「他部署の協力不足」
成功は内部化し、失敗は外部化する。この非対称性は、個人レベルでも組織レベルでも機能している。
PMは常に「制約の中でベストを尽くした」という物語を構築できる立場にいる。
──── ステークホルダー調整という隠れ蓑
「ステークホルダー間の調整」は、PM業務の中核とされている。
しかし、これは実質的に「誰も責任を取らない状況」を制度化したものだ。
重要な決定は「合意形成」のプロセスを通じて行われる。その結果、具体的な判断主体が曖昧になり、失敗時の責任の所在も不明確になる。
「みんなで決めたこと」だから、「みんなの責任」。つまり、「誰の責任でもない」。
──── アジャイル開発との親和性
アジャイル開発手法とPMという役職は、相性が良い。
「仮説検証」「イテレーション」「ピボット」といった概念は、失敗を「学習」として再定義する。
失敗は失敗ではなく、「貴重な学び」「次のイテレーションへの入力」「仮説の修正機会」となる。
この言語的操作により、失敗の負の側面が希釈され、責任追及も曖昧化される。
──── KPIという防御システム
PMは常に数値目標(KPI)に囲まれて働いている。
これらの数値は、客観的評価の指標として提示される。しかし実際には、責任回避のためのツールとしても機能している。
目標を達成できなかった場合:「前提条件が変わった」「外部環境が予想と異なった」「他の優先度がより高くなった」
目標設定から評価まで、すべてのプロセスに逃げ道が用意されている。
──── 成果の横取り構造
PMのもう一つの巧妙な機能は、他部署の成果を「プロダクト全体の成功」として統合することだ。
開発チームの技術的ブレークスルー、マーケティングチームの効果的な施策、営業チームの優秀な成果。
これらすべてが「PMの統合的マネジメント」の成果として位置づけられる可能性がある。
個別の部署の成功を、「プロダクトレベルでの統合的成果」として再定義する権限を、PMは持っている。
──── 外部コンサルとの連携
多くの企業で、PM導入と同時に外部コンサルティング会社が関与している。
これは偶然ではない。PM制度の導入は、責任構造の複雑化を意味し、それは外部専門家による「解決」を必要とする。
問題の作成者が同時に解決者としても機能する、完璧なビジネスモデルが完成している。
──── 中間管理職の進化形
PMは、中間管理職の現代的な進化形と見ることができる。
従来の中間管理職は、上司と部下の間の明確なヒエラルキーの中に位置していた。責任の所在も、権限の範囲も、比較的明確だった。
PMは、より複雑で曖昧な権限構造の中で機能する。横断的な「調整」を行うが、直接的な指揮権は持たない。
この曖昧さこそが、PMの最大の「機能」なのかもしれない。
──── システムの自己強化
一度PMシステムが導入されると、それは自己強化的に拡大していく。
PM不在の失敗は「PMがいなかったから」と説明される。 PM存在下の失敗は「PMの権限が不十分だったから」と説明される。
どちらの場合も、解決策は「より強力なPMの導入」となる。
システムは自分自身の必要性を証明し続け、拡大再生産していく。
──── 個人レベルでの合理性
重要なのは、これらの構造は個人レベルでは合理的だということだ。
PMとして働く個人にとって、責任の曖昧化、失敗の外部化、成果の内部化は、キャリア上の合理的戦略だ。
組織にとってもメリットがある。具体的な責任者を設定せずに済み、失敗時の訴求コストを削減できる。
個人の合理性と組織の合理性が一致している場合、システムは強固に維持される。
──── 本質的な問題
PMシステムの問題は、責任回避それ自体ではない。
問題は、責任回避が「プロダクト改善」「顧客価値創造」という高尚な理念で偽装されていることだ。
真の目的が責任の曖昧化である限り、プロダクトの質や顧客満足度の向上は、副次的な効果に留まる。
──── 代替案の不在
この分析は、PM制度の全面的な否定を意図したものではない。
現実的な代替案が存在しない以上、現在のシステムは維持される。
重要なのは、システムの本質を理解した上で、その制約の中で最善の結果を追求することだ。
責任回避システムであることを自覚した上で、可能な限り実効性のある改善を目指す。
これが、現実的なアプローチかもしれない。
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PMという職種は、現代企業の複雑性に対する一つの適応戦略だ。それが責任回避システムとして機能していることも、また現実の一面である。
重要なのは、この構造を理解した上で、より良いプロダクトとより良い組織の実現を目指すことだ。
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※本記事は特定の企業・個人を批判するものではなく、組織構造の分析を目的としています。個人的見解に基づいており、一般化には限界があります。