天幻才知

評価面談という形式的儀式の無意味さ

年に一度、あるいは半年に一度行われる評価面談。多くの組織がこの制度を「透明性のある人事評価」として導入している。しかし、その実態は組織的な自己欺瞞と時間の浪費でしかない。

──── 演技としての面談

評価面談の最大の問題は、それが「評価」ではなく「演技」だということだ。

上司は部下の成長を気にかける指導者を演じ、部下は謙虚で向上心のある社員を演じる。両者とも、この茶番劇に真剣に取り組んでいるふりをしなければならない。

実際の評価は、面談の何カ月も前に既に決まっている。予算の都合、組織バランス、政治的配慮。これらの要因によって昇進者や昇給額は事実上確定している。

面談は、その既定路線を正当化するための後付けの理由探しに過ぎない。

──── 偽りの透明性

「透明性のある評価制度」という美名の下で、実は不透明さが増している。

評価基準は曖昧で抽象的だ。「リーダーシップ」「コミュニケーション能力」「チームワーク」といった定量化不可能な項目が並ぶ。

これらの基準は、どのようにでも解釈できる。同じ行動が、評価者の心証次第で「積極性」にも「独善性」にもなる。

結果として、真の評価基準は闇の中に隠されたまま、表面的な透明性だけが演出される。

──── 数値化の虚構

多くの組織が評価の「客観性」を演出するため、数値化に走る。

S、A、B、Cの4段階評価。5点満点の評点。パーセンテージでの達成度評価。これらの数字は科学的な厳密さを装っているが、実際は主観的判断を数字で覆い隠しているだけだ。

「なぜAではなくBなのか」という質問に対する答えは、結局「総合的に判断して」という曖昧な説明に帰着する。

数値化は客観性を提供するのではなく、主観性を隠蔽する道具として機能している。

──── フィードバックという名の責任回避

「建設的なフィードバック」も、多くの場合は責任回避の手段だ。

上司は具体的な改善指示を避け、「もっと積極的に」「さらなる成長を期待している」といった抽象的なアドバイスに終始する。

これらのフィードバックは、実行不可能な曖昧さを意図的に保っている。なぜなら、具体的な指示を出せば、その効果に対する責任を負わなければならないからだ。

結果として、部下は何をすべきか分からないまま、「やる気のない」レッテルを貼られるリスクを負う。

──── 時間コストの巨大さ

評価面談にかかる時間コストは膨大だ。

準備時間、面談時間、書類作成時間、レビュー時間。これらを組織全体で積算すると、おそらく年間数百時間から数千時間に及ぶ。

この時間を実際の業務改善や人材育成に投入すれば、はるかに高い効果が期待できる。

しかし、多くの組織は「評価制度の運用」という活動そのものに価値があると錯覚している。

──── 逆選択の発生

皮肉なことに、評価面談は優秀な人材ほど離職させる効果を持つ。

真に能力のある人は、自分の市場価値を正確に把握している。組織内の評価が不当に低ければ、他の選択肢を検討する。

一方で、他に選択肢のない人材は、不当な評価でも受け入れざるを得ない。

結果として、組織に残るのは「評価面談を真剣に受けるしかない人材」であり、「評価面談などどうでもいいと思える人材」は去っていく。

──── 日本的特殊性

日本の評価面談には特有の問題がある。

終身雇用制度の名残により、評価結果が処遇に直結しにくい。昇進も年功序列の影響が強く、評価面談の結果が大きく反映されることは稀だ。

また、直接的な批判を避ける文化により、本当に必要なフィードバックが伝えられない。「察してほしい」という期待が、コミュニケーションをさらに曖昧にする。

これらの要因により、日本の評価面談は形式主義の極致に達している。

──── 代替案の不在という言い訳

「評価面談は不完全だが、他に方法がない」という議論がよく聞かれる。

しかし、これは思考停止だ。現在の制度の問題点を認識しているなら、改善や代替案の検討が先決のはずだ。

実際には、日々の業務を通じた継続的なフィードバック、具体的な目標設定と進捗管理、市場価値に基づいた処遇決定など、より効果的な手法は存在する。

評価面談という制度に固執する理由は、慣習への依存と変化への恐れでしかない。

──── 真の評価とは何か

本来の評価とは、パフォーマンスの測定と改善のための仕組みであるべきだ。

それは継続的なプロセスであり、年一回のイベントではない。 それは具体的で実行可能なフィードバックであり、抽象的な励ましではない。 それは双方向のコミュニケーションであり、一方的な通告ではない。

現在の評価面談は、これらの要素をほとんど満たしていない。

──── 組織の自己欺瞞

最も深刻な問題は、多くの組織がこの制度の無効性を薄々理解しながら、それを認めたがらないことだ。

「人事制度の改善」「従業員エンゲージメントの向上」といったスローガンの下で、実質的には何も変わらない改革が繰り返される。

この自己欺瞞は、組織全体の知的誠実性を損なう。形式を重視し、実質を軽視する文化が根付く。

──── 個人レベルでの対処

この構造的問題に対して、個人ができることは限られている。

しかし、少なくとも評価面談を「真の評価」と勘違いしないことは重要だ。それは組織運営上の儀式であり、自分の価値や能力を測る指標ではない。

真の成長は、日々の業務を通じた学習と改善によってもたらされる。評価面談の結果に一喜一憂するのは、エネルギーの無駄だ。

可能であれば、より実質的なフィードバックを得る方法を自分で構築することが重要だ。

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評価面談という制度は、現代組織における最も洗練された時間の無駄の一つかもしれない。

それは「人材管理をしている」という安心感を組織に与えるが、実際の人材育成や組織改善にはほとんど寄与しない。

真の改善は、この制度の根本的な見直しから始まる。しかし、それを実行する組織は稀だ。なぜなら、評価面談の廃止は「人事制度の後退」として解釈される可能性があるからだ。

結果として、無意味な儀式が永続化される。これもまた、現代組織の病理の一つと言えるだろう。

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※本記事は一般的な評価面談制度の構造的問題を論じたものであり、特定の組織を批判する意図はありません。個人的な経験と観察に基づく分析です。

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