天幻才知

管理職研修という責任転嫁システム

管理職研修は現代企業における最も洗練された責任転嫁システムの一つだ。「人材育成」という美名の下で、組織の構造的問題を個人のスキル不足にすり替える高度な仕組みが完成している。

──── 研修という免罪符

「管理職には研修を受けさせている」という事実は、企業にとって完璧な免罪符として機能する。

部下のモチベーションが低い?「管理職のマネジメント研修が不十分だった」 チームの生産性が上がらない?「リーダーシップ研修を強化しよう」 離職率が高い?「コミュニケーション研修を追加で実施する」

問題の根本原因が組織構造、評価制度、業務フロー、企業文化にあったとしても、すべて「管理職の能力不足」として処理される。

研修実施という形式的対応により、経営陣は「適切な対策を講じた」と主張できる。

──── 個人化される組織問題

本来組織レベルで解決すべき問題が、個人のスキルアップ課題へと巧妙に変換される。

例えば、過度な業務量による部下の疲弊。これは人員配置、業務設計、目標設定の問題だ。しかし「部下のケア」「ワークライフバランス」に関する研修で対処することで、構造的問題への言及を回避できる。

不合理な評価制度による職場の不公平感。これは制度設計の問題だが、「公正な評価の仕方」研修により、評価者のスキル問題へと転換される。

会社の方針転換による現場の混乱。これは意思決定プロセスの問題だが、「変革リーダーシップ」研修で現場管理者の適応能力の問題とされる。

──── 研修講師という共犯者

研修業界は、この責任転嫁システムの重要な構成要素だ。

彼らにとって、組織の構造的問題を指摘することは商売にならない。「管理職のスキルアップで解決できる」と言い続けることで、継続的な研修需要を確保できる。

「モチベーション管理の技術」「1on1の効果的な進め方」「部下との信頼関係構築法」といった個人スキルベースの研修メニューが量産される。

根本的な問題解決よりも、対症療法的なスキル習得が重視される構造が完成している。

──── 管理職の自己責任論

最も巧妙なのは、管理職自身がこのシステムを内面化することだ。

うまくいかないことがあると「自分の勉強不足だ」と考える。「もっと研修を受けなければ」と思考する。組織の問題を疑うことなく、自分の能力向上に注力する。

この自己責任論は、組織にとって極めて都合が良い。問題の真の原因を追求されることなく、管理職が自分で自分を責めてくれる。

さらに、「学習意欲の高い管理職」として評価されることで、このサイクルが強化される。

──── 研修効果の測定不可能性

研修の効果は本質的に測定困難だ。この特性が責任転嫁システムを支えている。

数ヶ月後に業績が改善したら「研修の効果」、改善しなかったら「定着が不十分」「フォローアップが必要」「さらなる研修が必要」となる。

どのような結果になっても、研修システム自体が否定されることはない。むしろ、「継続的な学習が重要」という論理で、研修の重要性が再強調される。

この測定不可能性は、責任転嫁システムの完璧な隠れ蓑として機能している。

──── 現場との乖離

多くの管理職研修は、現場の実態から乖離している。

理想的な条件下での理論的アプローチが語られるが、実際の職場では人員不足、システムの制約、上層部からの非合理な指示、予算の限界といった制約が存在する。

しかし、これらの制約は「言い訳」として片付けられる。「優秀な管理職なら、制約があっても結果を出せるはず」という論理で、再び個人の能力問題へと還元される。

現場の制約を無視した理想論を研修で学ばせることで、「学んだことを実践できない管理職が悪い」という構図が完成する。

──── 上層部の責任回避

最も重要な機能は、経営陣や上級管理職の責任回避だ。

戦略の失敗、リソース配分の誤り、組織設計の欠陥、企業文化の問題。これらはすべて現場管理職の「実行力不足」「リーダーシップ不足」として処理される。

「適切な研修を提供したのに、現場が機能しない」という論理で、意思決定層の責任は完全に免除される。

研修システムは、組織のヒエラルキーにおける責任の所在を巧妙に曖昧化する装置として機能している。

──── 日本企業特有の構造

日本企業では、この傾向が特に顕著だ。

「人材こそ最大の資産」という建前と、「個人の努力で何とかなる」という精神論が結合している。組織の問題を個人の問題へと転換する文化的土壌が整っている。

さらに、「研修を受ける=向上心がある」という価値観により、研修システムへの批判的視点が生まれにくい。

終身雇用的な雇用慣行により、管理職は組織を離れることが困難で、システムの問題を指摘するよりも適応することを選ぶ。

──── 真の解決策の阻害

皮肉なことに、管理職研修は真の問題解決を阻害している。

個人スキルの向上に注力することで、組織レベルでの根本的改革が後回しになる。「研修で対処している」という安心感により、構造的問題への取り組み意欲が削がれる。

限られた改善リソースが、効果の薄い個人スキル向上に投入され、組織改革のための資源が不足する。

結果として、問題の本質的解決は遠のき、対症療法的な研修がさらに必要になるという悪循環が生まれる。

──── システムからの脱却

この責任転嫁システムから脱却するには、まず現状認識が必要だ。

管理職の問題だと思っていた課題の多くが、実際には組織の構造的問題である可能性を検討する。研修で解決できない問題は何かを明確にする。個人の能力向上では限界がある領域を認識する。

そして、組織レベルでの改革に取り組む。制度設計、業務プロセス、意思決定システム、企業文化といった根本的要因への対処を優先する。

研修は問題解決の一手段に過ぎず、万能薬ではないことを受け入れる。

──── 終わりなき研修地獄

現在の管理職研修システムは、問題を解決するのではなく、問題を維持・再生産するために設計されている。

真の改善よりも、責任の所在を曖昧化し、上層部の責任を回避し、現状維持を図ることが主目的となっている。

この構造を理解しない限り、管理職は永続的な研修地獄に囚われ続ける。そして、組織の本当の問題は永遠に解決されることがない。

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※本記事は管理職研修そのものを全否定するものではありません。適切に設計・実施された研修には価値があります。しかし、現在多くの企業で見られる研修システムの構造的問題について警鐘を鳴らすものです。

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