なぜ日本の研究者は国際共同研究を避けるのか
日本の研究者の国際共同研究参加率は、先進国の中で著しく低い。これは単なる言語の問題ではない。日本の学術システム全体に根ざした構造的な問題だ。
──── 数字が示す現実
2023年のデータによると、日本の研究者の国際共著論文比率は約35%。これに対し、イギリス65%、ドイツ60%、フランス55%という数字が並ぶ。
さらに深刻なのは、トップ10%論文における国際共著率だ。日本は25%程度に留まる一方、他の先進国は70-80%に達している。
つまり、影響力の高い研究ほど国際協力から取り残されている現実がある。
──── 評価システムの歪み
日本の研究評価システムは、個人の業績を重視しすぎている。
共同研究では、論文の第一著者になりにくい。貢献度の評価も曖昧だ。昇進や研究費獲得において、共同研究の成果は単独研究より低く評価される傾向がある。
特に若手研究者にとって、国際共同研究は「リスクの高い投資」として映る。確実に業績になる単独研究を優先するのは合理的判断だ。
結果として、キャリア形成期における国際経験の蓄積が阻害される。
──── 研究費制度の制約
日本の研究費制度は、国際共同研究に対して構造的な障壁を持っている。
科研費をはじめとする主要な研究費は、基本的に国内研究者への支給を前提としている。海外研究者への直接的な資金提供は困難で、間接的な協力に留まることが多い。
一方、EU圏のHorizon Europeのような国際的な研究費制度への参加は限定的だ。資金面での制約が、協力の深度を制限している。
──── 言語という見えない壁
「英語ができない」という表面的な問題の背後には、より深刻な構造がある。
日本の研究環境は日本語で完結している。学会発表、論文投稿、同僚との議論、すべて日本語で事足りる。英語を使う必要性が日常的に存在しない。
しかし、真の問題は言語能力ではなく、「英語で研究することの価値」が十分に認識されていないことだ。
国内での評価が高ければ、わざわざ英語で苦労する動機が生まれない。
──── 組織文化の内向性
日本の研究機関は、しばしば「村社会」的な特徴を持つ。
長期的な人間関係、暗黙の了解、集団内での調和。これらは国内研究には有効だが、国際協力においては障害となる。
国際共同研究には、明確な契約、役割分担、進捗管理が必要だ。日本的な「察し」「空気を読む」文化は、多国籍チームでは機能しない。
──── 時間軸の違い
日本の研究者は、短期的な成果を求められることが多い。
年度単位の予算、3年程度の研究期間、頻繁な評価。この環境では、関係構築に時間のかかる国際協力は非効率に見える。
一方、本格的な国際共同研究には5-10年の長期視点が必要だ。信頼関係の構築、研究計画の調整、成果の統合、これらすべてに時間がかかる。
短期主義的な評価システムと、国際協力の長期性は根本的に相容れない。
──── 専門分野の細分化
日本の研究は、極度に専門分化している。
狭い分野での深い研究は、国内では高く評価される。しかし、国際共同研究では分野横断的な視点が重要だ。
自分の専門領域を絶対視し、他分野との協力を軽視する傾向は、国際的な大型プロジェクトへの参加を困難にする。
──── 失敗への恐怖
日本社会の失敗に対する不寛容さは、研究分野でも顕著だ。
国際共同研究は不確実性が高い。文化的相違、コミュニケーションの齟齬、予期せぬ問題が発生しやすい。
失敗が許容されない環境では、研究者は安全な選択肢を選ぶ。国内の既知のパートナーとの既知の方法による研究が優先される。
──── 若手研究者の悪循環
最も深刻なのは、若手研究者における国際経験の不足だ。
指導教員に国際経験がなければ、学生も国際的な視野を持ちにくい。研究室が内向きであれば、そこで育つ研究者も内向きになる。
博士課程や博士研究員の段階で国際経験を積む機会が限られているため、独立した研究者になってからも国際協力に消極的になる。
この悪循環が世代を超えて継続している。
──── 制度改革の必要性
根本的解決には、評価システムの抜本的改革が必要だ。
国際共同研究を積極的に評価する仕組み、長期的視点での業績評価、失敗を許容する文化。これらなしに状況の改善は期待できない。
また、研究費制度の国際化、英語での研究環境の整備、若手研究者の海外派遣促進も重要だ。
しかし、最も重要なのは意識の変革かもしれない。「国際協力は贅沢品」から「国際協力は必需品」への認識転換が求められている。
──── 時間との競争
日本の研究競争力の低下は加速している。
国際共同研究から取り残されることは、最先端の研究動向から取り残されることを意味する。孤立した研究環境では、世界レベルの成果を生み出すことは困難だ。
この問題に対する対処が遅れれば遅れるほど、回復は困難になる。今必要なのは、小手先の改革ではなく、システム全体の構造的変革だ。
しかし、変革には時間がかかる。その間にも、日本の研究は世界から更に遠ざかっていく。
時間との競争に、日本は勝てるだろうか。
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※本記事は日本の研究システムの構造的問題を指摘するものであり、個々の研究者を批判する意図はありません。多くの優秀な研究者が制約の中で努力していることを付け加えておきます。