日本の眼鏡産業が海外ブランドに駆逐された経緯
日本の眼鏡産業は、かつて世界最高峰の技術力を誇っていた。しかし現在、国内市場すら海外ブランドに席巻されている。この敗北の経緯は、日本の製造業全般に通じる構造的問題の縮図だ。
──── 技術至上主義の罠
日本の眼鏡メーカーは、レンズ研磨技術、フレーム加工精度、材料開発において世界をリードしていた。
特に福井県鯖江市は「眼鏡の聖地」として、職人の手仕事による高品質フレームで国際的な評価を得ていた。技術的な完成度では、今でも世界トップクラスを維持している。
しかし、この技術への過度な自信が、市場変化への対応を遅らせた。
「良いものを作れば売れる」という製造業的発想から脱却できず、ブランディングやマーケティングを軽視し続けた結果、技術力と市場シェアが完全に乖離してしまった。
──── 海外ブランドの戦略的侵入
1990年代以降、Ray-Ban、Oakley、そしてLuxotticaグループが日本市場に本格参入した。
彼らの武器は技術ではなく、ブランドイメージだった。
Ray-Banは映画やセレブとのタイアップで「クール」なイメージを確立。Oakleyはスポーツマーケティングで「高性能」を印象づけ。Luxotticaは買収戦略で多様なブランドポートフォリオを構築した。
重要なのは、これらの企業が製造を外部委託(多くは実際に日本企業)しながら、ブランド価値の創出に集中したことだ。
「作る会社」と「売る会社」の分離を早期に実現し、付加価値の高い部分を握った。
──── 価格戦略の失敗
日本メーカーの多くは「高品質=高価格」という単純な方程式に固執した。
職人の手仕事、素材へのこだわり、製造工程の複雑さを理由に、高価格を正当化し続けた。
一方で海外ブランドは、製造コストを抑えながらブランドプレミアムで高価格を実現した。同じ価格帯でも、消費者には「ブランド料」の方が「技術料」よりも納得しやすかった。
さらに決定的だったのは、JINSやZoffといった新興企業が「低価格で十分な品質」を提供し始めたことだ。
従来メーカーは高価格帯に追い込まれ、市場の大部分を失った。
──── 小売りチャネルの変化
眼鏡業界の小売り構造も激変した。
従来の「眼鏡店」から「ファッション小売り」への転換が進み、商品の見せ方、店舗デザイン、接客スタイルがすべて変わった。
海外ブランドはこの変化に敏感に対応し、直営店やフランチャイズ展開を積極的に行った。一方、日本の老舗メーカーは従来の販売店ネットワークに依存し続けた。
結果として、消費者との接点で完全に劣勢に回った。
──── デザイン言語の国際化
眼鏡のデザイントレンドが急速に国際化したことも、日本メーカーには不利だった。
日本的な繊細さ、控えめさ、職人的完成度よりも、欧米的な大胆さ、個性の主張、トレンド感が重視されるようになった。
特にファッションアイテムとしての眼鏡の位置づけが強くなると、日本メーカーの「実用重視」のアプローチは時代遅れに見えた。
デザイナーの国際的ネットワーク、トレンド情報の収集力、クリエイティブ人材の確保において、海外ブランドに大きく後れを取った。
──── B2B依存の構造的問題
多くの日本メーカーは、OEM(相手先ブランド製造)に依存する構造から脱却できなかった。
技術力を活かして海外ブランドの製造を請け負うことで、一定の収益は確保できた。しかし、これは自社ブランドの育成を阻害する結果となった。
「下請け」としての安定収入に満足し、「ブランドオーナー」としてのリスクを取ることを避け続けた。
結果として、付加価値の高い部分を海外企業に握られ、製造業としてのコモディティ化が進行した。
──── 国内市場への安住
日本メーカーの多くは、国内市場で一定のシェアを確保していることに安住した。
海外展開への積極性に欠け、国際競争力の向上を怠った。特にアジア市場での展開において、欧米ブランドに完全に先を越された。
国内市場の縮小が明らかになった時には、すでに海外での競争力を失っており、縮小する市場内でのシェア争いに終始することになった。
──── 経営資源の分散
多くの老舗眼鏡メーカーは、製造から小売りまで垂直統合した事業構造を維持しようとした。
しかし、各セグメントで専門化した競合他社との競争において、分散した経営資源では太刀打ちできなかった。
「餅は餅屋」の時代に、「何でも屋」であり続けようとしたことが、すべての分野での競争劣位を招いた。
──── 復活への道筋
完全に敗北したわけではない。いくつかの日本ブランドは、ニッチ市場での差別化に成功している。
金子眼鏡は職人的品質を前面に出したブランド戦略で一定の成功を収めた。999.9(フォーナインズ)は技術革新とデザイン性の両立でファンを獲得している。
重要なのは、技術力を活かしながらブランド価値を創出する戦略だ。「作る技術」と「売る技術」の両方を高めることが必要だった。
──── 他産業への教訓
眼鏡産業の敗北は、日本の製造業全般に共通する問題を浮き彫りにしている。
技術至上主義、B2B依存、国内市場安住、ブランド軽視、これらの要素が組み合わさると、どんなに優れた技術力を持っていても市場を失う。
逆に言えば、これらの問題を克服できれば、まだ復活の可能性は残されている。
──── グローバル化の本質
眼鏡産業が示しているのは、グローバル化とは単なる市場拡大ではなく、価値創出構造の根本的変化だということだ。
「良いものを作る」だけでは勝てない時代に、日本企業がどう適応するかが問われている。
技術力という武器を持ちながら、それを市場価値に転換できなかった眼鏡産業の経験は、他の産業にとって貴重な反面教師となるはずだ。
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日本の眼鏡産業の敗北は、優れた技術力だけでは市場を制覇できない現実を突きつけている。しかし、技術力という基盤は依然として存在する。問題は、それをどう活用するかだ。
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※本記事は業界動向の一般的分析であり、特定企業の経営判断を批判するものではありません。