なぜ日本の大学は実学を軽視するのか
日本の大学が実学を軽視する傾向は、単なる教育方針の問題ではない。これは戦後日本の社会構造に深く根ざした、システマティックな現象だ。
──── 教養主義という名の逃避
戦後の日本では、旧制高校の教養主義が大学に継承された。この教養主義は本来、幅広い知識と深い思考力を養うための理念だった。
しかし現実には、「実用性を追求しない高尚さ」の象徴として機能している。実学への関心を示すことは、知的格下げの証拠とみなされる風潮がある。
この価値観は、明治期の「和魂洋才」思想の変形でもある。西洋の技術は取り入れるが、精神的・文化的領域では独自性を保持するという発想が、現代では「理論は高尚、実践は俗物」という序列意識に転化している。
結果として、実学は「格の低い学問」として位置づけられ、優秀な研究者ほど実学から距離を置くインセンティブが働く。
──── 象牙の塔の既得権益
大学教員の多くは、学部→大学院→助手→講師→准教授→教授というアカデミックキャリアを歩んでいる。
このルートでは、実社会での実務経験は評価対象外どころか、むしろマイナス要因として扱われることもある。「純粋なアカデミズム」こそが価値あるものとされる。
学会での評価、論文の査読、昇進の判断、すべてが「実学からの距離」によって格付けされる。実学に関わることは、アカデミックキャリアにとってリスクでしかない。
この構造は自己強化的だ。実学を軽視する教員が次世代の教員を選考し、同じ価値観を再生産する。
──── 企業との奇妙な分業体制
日本では「大学は理論、企業は実践」という暗黙の分業体制が確立されている。
企業側も、大学に実学を期待していない。新卒一括採用制度の下では、大学での学習内容よりも、企業内教育での教育可能性が重視される。
この結果、大学は「企業が求める実務能力を身につけさせる責任」から免除される。そして企業は「大学の研究成果を実用化する責任」を負わない。
双方にとって都合の良い分業だが、その隙間で実学が宙に浮いている。
──── 研究評価システムの歪み
日本の大学研究評価は、依然として論文数と引用数に依存している。
実学的研究は、多くの場合、論文として発表しにくい。特許、技術移転、企業との共同研究、社会実装の成果などは、論文ベースの評価システムでは適切に評価されない。
国際的な学術誌も、日本の社会問題に特化した実学的研究を受け入れにくい。結果として、実学研究者は評価で不利になる。
昇進、研究費獲得、社会的地位、すべてにおいて実学は冷遇される。合理的な研究者なら、実学を避けるのが当然だ。
──── 文科省の責任回避
文部科学省は「産学連携」「実学重視」を掲げながら、実際の政策は矛盾している。
大学ランキングでは依然として論文数を重視し、研究費配分でも基礎研究を優遇する。実学推進の掛け声と、実際の制度設計が乖離している。
これは官僚機構特有の「失敗のリスク回避」の現れだ。基礎研究への投資は批判されにくいが、実学への投資は「成果が出ない」「企業優遇」として批判される可能性がある。
結果として、実学推進は掛け声倒れに終わり、現状維持が続く。
──── 学生の就職予備校化
大学が実学を軽視する一方で、学生は実用的なスキルを求めている。
この需要は、大学外の資格スクール、プログラミングスクール、就職予備校が満たしている。大学は就職率維持のために、これらの外部サービスに依存する構造になっている。
本来大学が担うべき実学教育が、営利企業にアウトソーシングされている。大学は「教養」という名の付加価値を提供するだけの機関に成り下がっている。
──── 国際競争力の低下
この実学軽視は、日本の国際競争力低下の一因でもある。
シリコンバレーでは大学発のスタートアップが次々と生まれるが、日本では大学発ベンチャーは極めて少ない。産学連携も形式的なものが多く、実質的な技術移転は進んでいない。
ドイツの工科大学や韓国のKAIST、中国の清華大学など、実学を重視する海外大学との格差は拡大している。
日本の大学が「象牙の塔」にこもっている間に、世界の大学は社会問題解決のハブとしての役割を強化している。
──── 改革への阻害要因
この構造を変えるのは困難だ。なぜなら、現在の制度の受益者が改革の主体でもあるからだ。
大学教員は現在の評価システムで地位を築いており、変更はリスクでしかない。文科省官僚も、失敗のリスクがある改革よりも現状維持を選ぶ。
企業も、大学に実学を期待せず、自社で人材育成を行う体制に慣れている。学生も、大学に実学を期待せず、就職予備校で補完する現状を受け入れている。
誰も変革のインセンティブを持たない膠着状態だ。
──── 可能性としての地方大学
興味深いのは、一部の地方大学で実学重視の取り組みが始まっていることだ。
これらの大学は、旧帝大のような「格」を追求できないため、実学による差別化を図っている。地域密着型の研究、企業との共同研究、社会実装を重視する姿勢が評価されている。
しかし、これらの取り組みも、現在の評価システムでは適切に評価されない。優秀な研究者や学生を引きつけるには限界がある。
──── 個人レベルでの対処
この構造的問題に対して、個人ができることは限られている。
しかし、少なくとも「日本の大学が実学を軽視する理由」を理解することで、適切な期待値設定ができる。大学に実学を期待せず、必要なスキルは他の手段で習得する戦略が現実的だ。
また、海外大学や企業での経験を積むことで、実学重視の環境に身を置くことも可能だ。
──── 長期的な展望
この問題は一朝一夕には解決しない。しかし、社会のデジタル化、グローバル化の進展により、実学の重要性は否応なく高まっている。
現在の制度に固執する大学は、長期的には淘汰される可能性がある。海外大学との競争、オンライン教育の普及、企業大学の設立など、多様な圧力が既存システムを変革に向かわせるだろう。
問題は、その変革がいつ、どのような形で起こるかだ。そして、それまでにどれだけの人材と時間が無駄になるかだ。
────────────────────────────────────────
日本の大学が実学を軽視する理由は、教育哲学の問題ではない。既得権益、制度設計、社会構造が複雑に絡み合った構造的問題だ。
個人レベルでは、この現実を受け入れた上で、最適な学習戦略を構築することが重要だ。大学の看板に惑わされず、真に価値ある学びを追求する姿勢が求められている。
────────────────────────────────────────
※本記事は日本の大学制度全般に関する分析であり、個別の大学や取り組みを否定するものではありません。