なぜ日本の科学技術予算は効果的でないのか
日本の科学技術予算は年間約4兆円に上る。しかし、この巨額の投資が期待される成果を生んでいない。問題は金額ではなく、その使われ方にある。
──── 予算配分の構造的歪み
日本の科学技術予算配分は、本質的に「既得権益の維持システム」として機能している。
最大の問題は、予算の大部分が「継続性」を重視した配分になっていることだ。前年度の実績をベースに微調整を加える方式では、革新的な研究への資源集中は起こらない。
さらに深刻なのは、予算配分の決定権が研究現場から遠い行政組織に集中していることだ。文科省、経産省、厚労省といった縦割り組織が、それぞれの論理で予算を分割している。
この結果、研究者は予算獲得のために行政の意向に沿った研究計画を作成することに時間を割かれ、肝心の研究時間が削られている。
──── 評価制度の機能不全
日本の研究評価制度は、評価のための評価に堕している。
論文数、被引用数、特許出願数といった定量的指標を重視するあまり、真に革新的な研究が軽視される。これらの指標は過去の成果を測るものであり、未来の可能性を評価するものではない。
特に問題なのは、短期的成果を求める傾向だ。3年、5年といった短いスパンでの成果を要求するため、本来10年、20年を要する基礎研究が軽視される。
また、失敗を許容しない文化も致命的だ。革新的研究は高い失敗率を伴うが、日本の評価制度は失敗を厳しく糾弾する。この結果、研究者は安全で確実な研究テーマを選ぶようになる。
──── 間接経費の不適切な使用
日本の研究費における間接経費の割合は欧米と比べて低く設定されているが、それ以上に問題なのはその使途だ。
間接経費は本来、研究環境の整備、研究支援職員の雇用、設備の維持管理に使われるべきだが、実際には大学や研究機関の一般管理費に流用されるケースが多い。
この結果、研究現場の環境改善に予算が回らず、研究者は劣悪な環境での研究を強いられている。
──── 人材育成システムの欠陥
日本の科学技術予算は、人材育成への投資が圧倒的に不足している。
特に深刻なのは、若手研究者への支援の薄さだ。博士課程学生への経済支援、ポスドクのキャリアパス整備、若手研究者の独立支援、これらすべてが不十分だ。
また、研究技術者、研究管理専門職といった研究支援人材の育成にも予算が割かれていない。研究は研究者だけでは成り立たず、専門的な支援人材が不可欠だが、日本ではこの認識が薄い。
さらに問題なのは、国際的な人材流動性への投資の少なさだ。海外からの優秀な研究者の招聘、日本の研究者の海外派遣、これらへの予算配分が不十分で、研究の国際競争力が低下している。
──── 産学連携の形骸化
日本の産学連携は、看板倒れに終わっているケースが多い。
企業と大学の共同研究は増加しているが、その多くは企業の短期的ニーズに応える受託研究の域を出ていない。真の意味でのイノベーション創出につながる長期的な基礎研究への企業投資は限定的だ。
また、大学発ベンチャーの育成も十分な成果を上げていない。予算は投入されているが、ビジネス化のノウハウ、資金調達の仕組み、市場開拓の支援が不足している。
──── 国際比較から見る問題点
アメリカのNIHやNSF、ドイツのマックスプランク研究所、中国の科学院といった海外の研究資金配分機関と比較すると、日本の問題点が浮き彫りになる。
これらの機関は、専門性の高いプログラムオフィサーが研究現場に近い立場で予算配分を決定している。研究者のピアレビューを重視し、長期的視点での支援を行っている。
一方、日本では行政官が予算配分を決定し、短期的成果を重視し、失敗を許容しない。この構造的違いが、研究成果の差につながっている。
──── デジタル化の遅れ
日本の研究環境は、デジタル化の遅れも深刻だ。
データ管理、計算環境、国際的な研究ネットワークへの接続、これらすべてが欧米や中国と比べて劣っている。しかし、これらのインフラ整備への予算配分は後回しにされがちだ。
特に、大規模計算環境やデータ保存環境への投資不足は、データサイエンス、AI研究、シミュレーション科学といった現代的研究手法の導入を阻んでいる。
──── 地方格差の拡大
科学技術予算の配分は、東京、関西圏の有力大学に集中し、地方大学への配分が不十分だ。
この結果、地方の研究ポテンシャルが活用されず、人材の東京一極集中が加速している。地方大学の研究者は、予算不足により研究継続が困難になり、優秀な人材の流出が続いている。
地方の産業振興、地域イノベーションといった観点からも、この配分格差は国全体の科学技術力低下を招いている。
──── 改革への阻害要因
これらの問題は認識されているが、改革が進まない理由がある。
最大の阻害要因は、既存システムの受益者による抵抗だ。現在の予算配分で利益を得ている大学、研究機関、行政組織は、制度変更に消極的だ。
また、政治的配慮による予算配分も改革を阻んでいる。科学的合理性よりも、地域バランス、組織間の力関係、政治的思惑が優先される。
さらに、短期的な政治サイクルと長期的な研究開発サイクルのミスマッチも問題だ。政治家は任期中の成果を求めるが、革新的研究は長期間を要する。
──── 必要な構造改革
効果的な科学技術予算の実現には、根本的な構造改革が必要だ。
まず、予算配分の決定権限を研究現場に近い専門組織に移管する必要がある。行政からの独立性を持った研究資金配分機関の設立が急務だ。
次に、評価制度の抜本的見直しが必要だ。短期的成果偏重から長期的インパクト重視へ、定量評価偏重から質的評価重視へ、失敗回避から挑戦奨励へ、価値観の転換が求められる。
さらに、間接経費の適正化、若手研究者支援の充実、国際的人材流動の促進、デジタルインフラの整備、地方格差の是正、これらすべてに本格的な予算配分が必要だ。
──── 時間的制約
問題は、これらの改革に残された時間が少ないことだ。
中国の科学技術投資は日本を上回り、韓国も急速に追い上げている。アメリカ、ヨーロッパとの差も拡大している。
日本の科学技術予算の非効率性は、単なる内政問題ではなく、国際競争力の根幹に関わる問題だ。構造改革の遅れは、取り返しのつかない競争力低下を招く。
しかし、既得権益に配慮した漸進的改革では間に合わない。大胆で迅速な制度変更が求められている。
問題は、それを実行する政治的意志と社会的合意があるかどうかだ。
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日本の科学技術予算の非効率性は、金額の問題ではなく配分と使用の問題だ。根本的な構造改革なしに、この状況の改善は期待できない。
時間は残されていない。
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※本記事は公開情報に基づく分析であり、特定の組織や個人を批判する意図はありません。制度改善のための建設的議論を目的としています。