天幻才知

日本の林業が衰退した根本的要因

日本の林業衰退は、単なる市場競争の結果ではない。戦後復興から高度経済成長、そして現代に至るまでの一連の政策判断と社会構造の変化が複合的に作用した結果だ。

──── 拡大造林政策の功罪

戦後復興期、政府は「拡大造林政策」を推進した。これは荒廃した山林を針葉樹の人工林で回復させる国家プロジェクトだった。

表面的には成功した。日本の森林率は約67%に達し、先進国随一の森林大国となった。しかし、この政策には致命的な設計ミスがあった。

植林から収穫まで50-80年という長期投資であるにも関わらず、長期的な市場分析と収益性の検討が不十分だった。「植えれば儲かる」という楽観的前提で進められた結果、収穫期を迎えた頃には市場環境が一変していた。

──── 木材自由化という決定的打撃

1964年の木材輸入自由化は、日本林業にとって決定的な転換点だった。

安価な外国産材が大量流入し、国産材のシェアは急激に低下した。1960年に94%だった木材自給率は、1970年代には50%を下回り、現在では約40%まで下がっている。

しかし、これを単なる「国際競争に負けた」と見るのは表面的だ。重要なのは、なぜ日本林業が国際競争力を持てなかったのかという構造的問題だ。

──── 零細経営の温存

日本の林業経営は圧倒的に零細だ。平均的な森林所有面積は3ヘクタール程度で、これは欧米の大規模林業と比較して著しく小さい。

この零細性は、江戸時代から続く土地所有制度に根ざしている。戦後の農地改革では農地の集約化が図られたが、林地については手つかずのまま放置された。

零細経営では機械化投資もできず、作業効率も上がらない。結果として、高コスト構造が固定化された。

──── 労働力の急激な流出

高度経済成長期、山村の若年労働力は都市部の製造業に大量移動した。

林業は「3K産業」(きつい、汚い、危険)の典型とされ、若者から敬遠された。また、季節労働的側面が強く、安定した年収確保が困難だった。

労働力不足は機械化を促進すべきだったが、前述の零細経営構造がそれを阻んだ。結果として、労働集約的な産業構造のまま労働力だけが流出するという悪循環に陥った。

──── 流通システムの非効率性

日本の木材流通は、極めて複雑で非効率的なシステムだった。

森林所有者→素材生産業者→原木市場→製材工場→木材問屋→工務店→消費者

この多段階流通により、最終価格に占める山元の取り分は10-20%程度まで下がった。流通マージンが過大で、川上の森林所有者には十分な収益が還元されない構造だった。

一方、海外では垂直統合された大規模企業が森林経営から最終製品まで一貫して手がけ、効率的な収益構造を構築していた。

──── 補助金依存という麻薬

政府は林業振興のために手厚い補助金制度を整備したが、これが逆に産業の自立性を奪った。

植林補助、間伐補助、作業道補助、機械導入補助。あらゆる工程に補助金が投入され、林業経営者は市場競争よりも補助金獲得に関心を向けるようになった。

補助金は短期的には経営を支えるが、長期的には競争力の向上を阻害する。「保護された産業」として温存された結果、グローバル化の波に対応できなくなった。

──── 山村社会の解体

林業衰退の背景には、山村社会そのものの解体がある。

戦前の山村は、林業を中心とした自己完結的な経済圏を形成していた。しかし、戦後の産業構造転換により、若者は都市部に流出し、残された高齢者だけでは森林管理が困難になった。

森林は単なる経済財ではなく、地域コミュニティの共有資源としての側面も持つ。コミュニティの解体は、森林管理の社会的基盤を失わせた。

──── 住宅産業との乖離

戦後日本の住宅建築は、急速に工業化・標準化が進んだ。

プレハブ住宅、ツーバイフォー工法、集成材の普及により、建築用材は工業製品としての均質性と価格安定性が求められるようになった。

一方、国産材は品質のばらつきが大きく、供給量も不安定だった。住宅産業のニーズと林業の供給能力の間に大きなミスマッチが生じた。

──── 政策の一貫性欠如

最も深刻なのは、政策の一貫性の欠如だ。

農業政策では「構造改革」「大規模化」「効率化」が叫ばれる一方、林業政策では零細経営の温存が続けられた。産業政策としての明確なビジョンが欠如し、場当たり的な対症療法に終始した。

また、環境政策と産業政策の間にも整合性がなかった。「森林保護」の名目で経済活動を制限する一方、林業の競争力向上には無関心だった。

──── 構造改革の機会損失

1980年代から1990年代にかけて、他の産業では大胆な構造改革が進められた。

しかし、林業については「伝統産業の保護」という名目で、抜本的な改革が先送りされ続けた。この間に、世界の林業は大きく変化し、日本林業との格差はさらに拡大した。

──── 現在への影響

これらの構造的問題の蓄積が、現在の林業衰退をもたらした。

森林の荒廃、後継者不足、技術革新の遅れ、国際競争力の欠如。これらはすべて、戦後から現代まで続く一連の政策判断と社会変化の帰結だ。

──── 教訓と展望

日本の林業衰退は、産業政策における重要な教訓を提供している。

保護主義的政策は短期的安定をもたらすが、長期的競争力を損なう。補助金依存は自立性を奪い、構造改革の機会を逸する。そして最も重要なのは、産業政策には明確なビジョンと一貫性が不可欠だということだ。

現在進められている林業再生政策も、これらの教訓を踏まえなければ、同じ失敗を繰り返すことになるだろう。

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日本の林業衰退は、戦後日本の産業政策の縮図でもある。保護と競争、伝統と革新、地域と国家。これらの調和を図ることの困難さを、林業ほど明確に示している産業はない。

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※本記事は産業構造分析を目的としており、特定の政策や関係者を批判する意図はありません。個人的見解に基づく考察です。

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