なぜ日本の起業家は技術より営業を重視するのか
日本の起業家が技術開発よりも営業活動を重視する傾向は、単なる文化的偏見ではない。これは日本市場の構造的特徴に対する合理的適応の結果だ。
──── 閉鎖的市場での生存戦略
日本市場は、外見上オープンでありながら、実質的には極めて閉鎖的だ。
新規参入者にとって最大の障壁は技術力の不足ではなく、既存ネットワークへのアクセス不足だ。どんなに優れた技術を持っていても、意思決定者との人脈がなければ、検討対象にすら入らない。
「技術で勝負」は理想論。現実には「人脈で勝負」が避けられない前提条件となる。
この環境では、CTOよりもCEOの営業力が企業の生死を分ける。技術開発に時間を割くより、顧客との関係構築に投資する方が合理的だ。
──── 発注者主導の市場構造
日本のBtoB市場は、発注者が圧倒的に強い。
発注者は詳細な仕様書を作成し、受注者はその通りに作ることを求められる。技術的な提案や改善案は「余計なお世話」として排除されがちだ。
この構造では、技術力よりも「要望を正確に理解し、確実に実行する能力」が重視される。つまり、営業・コミュニケーション能力こそが差別化要因となる。
イノベーションは発注者側の責任であり、受注者側は実行者に徹することが期待される。技術への投資は投資対効果が見込めない。
──── 資金調達における営業力の重要性
日本のベンチャー投資家の多くは、技術よりもビジネスモデルと実行力を重視する。
「この技術は素晴らしい」よりも「この市場で確実に売り上げを立てられる」という説明の方が投資を引き寄せる。特に、既存顧客や具体的なパイプラインを示せることが資金調達の成否を分ける。
技術系起業家が直面するのは、技術の価値を非技術者に説明する困難さだ。一方、営業出身の起業家は、投資家が理解しやすい言葉で事業価値を説明できる。
資金調達が生存の前提条件である以上、営業力の優位性は構造的だ。
──── 人材確保の現実
日本では優秀なエンジニアの確保が困難だ。
大企業が安定雇用と高待遇で人材を囲い込み、フリーランス市場も未成熟。ベンチャーが技術系人材を採用するコストは極めて高い。
一方、営業人材は相対的に流動性が高く、成果報酬による動機付けも可能だ。技術開発チームを社内で抱えるより、営業チームで外部パートナーを動かす方がコスト効率が良い。
「技術は外注、営業は内製」という戦略は、日本の人材市場における合理的選択だ。
──── 短期的成果への圧力
日本の投資家や取引先は、短期的な成果を強く求める傾向がある。
技術開発は成果が出るまで時間がかかり、成功の保証もない。一方、営業活動は即座に売上という形で成果が見える。
四半期ごとの業績評価、年度予算の制約、投資家への定期報告。これらすべてが短期的成果を重視する圧力として作用する。
技術開発への長期投資よりも、営業活動による短期的売上確保が優先されるのは必然だ。
──── 競合との差別化戦略
興味深いことに、多くの日本企業が似たような技術レベルにある。
この状況では、技術力での差別化は困難だ。むしろ、同じような技術を持つ競合他社と比べて「より信頼できる」「より柔軟に対応してくれる」といった営業的要素が決定要因となる。
技術で圧倒的に勝るよりも、営業で安定的に勝る方が現実的な戦略だ。
──── グローバル展開への影響
この営業重視の傾向は、グローバル展開において致命的な弱点となる。
海外市場、特に技術先進国では、技術的優位性がなければ営業力だけでは通用しない。日本市場で成功した営業モデルが、そのまま海外で機能することは稀だ。
結果として、日本発のスタートアップが国際競争力を持ちにくい構造が生まれている。
──── 長期的な産業競争力への懸念
営業重視の傾向は、短期的には合理的だが、長期的には産業全体の技術力低下を招く。
技術開発への投資不足は、将来的な競争力の源泉を枯渇させる。特に、AI、IoT、バイオテクノロジーといった次世代技術分野では、継続的な研究開発投資が不可欠だ。
しかし、個別企業の立場からすると、他社が技術投資を怠っている間に営業力で市場シェアを取る方が合理的に見える。
──── 構造変化への対応
この状況を変えるには、市場構造そのものの変革が必要だ。
政府の調達方式の変更、ベンチャー投資家の評価基準の変化、大企業の発注慣行の見直し、技術系人材の流動性向上。これらが同時に進まなければ、個別企業の行動変化は期待できない。
また、グローバル市場への展開を前提とした事業モデルの構築が、技術重視への転換を促す可能性がある。
──── 起業家個人への示唆
現在の日本で起業する場合、この現実を受け入れた上で戦略を立てる必要がある。
技術系起業家は、技術開発と並行して営業力の強化に取り組むか、営業に長けたパートナーとの連携を模索すべきだ。
一方で、長期的な競争力の源泉として技術開発を軽視してはならない。短期的生存と長期的成長のバランスを取る戦略が求められる。
────────────────────────────────────────
日本の起業家の営業重視は、現在の市場環境における合理的適応だ。しかし、それが長期的な産業競争力に与える影響を無視することはできない。
構造的変化を待つか、構造に逆らって挑戦するか。起業家には難しい選択が迫られている。
────────────────────────────────────────
※本記事は一般的傾向の分析であり、個別企業の戦略を批判するものではありません。現象の構造分析を目的とした個人的見解です。