天幻才知

なぜ日本の電子政府は失敗したのか

日本の電子政府は失敗した。これは技術的な問題ではない。システム設計の問題でもない。根本的には、電子政府というコンセプトが日本の社会構造と根本的に相容れなかったのだ。

──── 「電子」化への誤解

日本の電子政府政策は、最初から方向を間違えていた。

「紙の手続きをデジタル化すれば効率化される」という単純な発想で始まったが、これは根本的な誤解だった。電子政府の本質は、行政プロセス全体の再設計にある。

ところが日本では、既存の複雑な手続きをそのままデジタル化しただけだった。結果として、紙よりも複雑で使いにくいシステムが完成した。

マイナンバーカードは好例だ。従来の住民票システムをデジタル化しただけで、根本的な行政サービスの再構築は行われなかった。

──── 縦割り行政という構造的障壁

電子政府は、本来であれば行政の縦割り構造を打破する契機になるべきだった。

しかし、日本では各省庁が独自にシステムを構築し、連携を拒んだ。総務省、厚労省、国税庁、それぞれが独立したデジタル基盤を作り、相互の連携は後回しにされた。

この結果、国民は複数の異なるシステムに別々に登録し、同じような情報を何度も入力する羽目になった。

デジタル庁の設立は、この問題への遅すぎた対応だった。しかし、既得権益化した各省庁のシステムを統合することは、技術的にも政治的にも困難を極めている。

──── ベンダー依存という罠

日本の電子政府システムは、大手ITベンダーに丸投げされた。

富士通、NEC、日立といった企業が、各省庁から個別にシステム開発を受注し、独自仕様で構築した。この結果、システム間の連携が困難になり、保守費用が高騰した。

さらに深刻なのは、ベンダーロックインによって、行政側がシステムの内容を理解できなくなったことだ。発注者が仕様を把握せずに運用しているシステムが、うまく機能するはずがない。

エストニアのような電子政府先進国では、政府が技術的主導権を握っている。日本はその正反対の道を歩んだ。

──── 「おもてなし」文化との衝突

日本の行政サービスは「おもてなし」文化に基づいている。

窓口での対面サービス、細やかな配慮、個別対応への期待。これらは日本社会の美徳だが、標準化を前提とする電子政府とは相容れない。

電子政府システムは、例外処理を最小限にし、標準化されたプロセスを前提とする。しかし、日本の行政現場では「特別な事情」への個別対応が重視される。

この文化的衝突が、システムの複雑化と使い勝手の悪化を招いた。

──── 高齢者への配慮という建前

「デジタルデバイドへの配慮」という名目で、紙による手続きが併存し続けた。

これは社会的弱者への配慮として正当化されたが、実際には電子化への移行を阻害する口実として機能した。

韓国やデンマークのような電子政府先進国でも、当初は同様の課題があった。しかし、これらの国では段階的にデジタル移行を促進し、最終的には原則デジタル化を実現した。

日本では「配慮」が永続化し、二重システムの維持コストが電子化の利益を相殺している。

──── セキュリティ過剰という逃げ道

「セキュリティのため」という理由で、使い勝手を犠牲にしたシステムが量産された。

複雑なパスワード要件、頻繁な認証、多段階の確認手続き。これらは確かにセキュリティを向上させるが、同時にシステムの利便性を大幅に損なった。

本来であれば、セキュリティと利便性のバランスを取るのが設計者の役割だ。しかし、日本では「何かあったときの責任」を恐れて、極端にセキュリティ寄りの設計が採用された。

結果として、多くの国民がシステムを使わず、従来の紙ベースの手続きに戻ってしまった。

──── 政治家の無理解

電子政府政策を推進する政治家たちの多くが、デジタル技術を理解していなかった。

「IT革命」「デジタル社会」といったスローガンは掲げるが、具体的なシステム設計やプロセス改革については関心が薄い。

この結果、政策の方向性は曖昧なまま、実装は官僚とベンダーに丸投げされた。政治的リーダーシップの欠如が、システム全体の一貫性を損なった。

平井デジタル担当大臣の「ハンコをやめましょう」発言は象徴的だった。表面的な改革にとどまり、根本的な行政プロセスの見直しには至らなかった。

──── 失敗のコスト

これらの失敗には、巨額のコストがかかっている。

システム開発費、維持運営費、人件費、機会損失。正確な総額は公表されていないが、数兆円規模の無駄遣いが発生したと推定される。

さらに深刻なのは、国民の行政への信頼低下だ。使いにくいシステムと二重手続きによって、多くの国民が行政サービスに対して不信感を抱くようになった。

──── デジタル庁という希望と限界

2021年に設立されたデジタル庁は、これらの問題を解決する切り札として期待された。

確かに、統一的なデジタル政策を推進する体制は整った。しかし、既存システムの改修と各省庁の抵抗という現実に直面している。

根本的な問題は、技術的課題ではなく、組織文化と政治構造にある。デジタル庁だけでは、これらの構造的問題を解決することはできない。

──── 韓国との対比

同じ東アジアの国である韓国の成功は、日本の失敗を際立たせる。

韓国は1990年代後半のIMF危機を契機に、行政改革とIT化を同時に推進した。危機感と政治的意志が、構造改革を可能にした。

一方、日本は危機感が希薄なまま、漸進的な改革に終始した。この差が、現在の電子政府格差につながっている。

──── 民間との乖離

興味深いのは、日本の民間企業のデジタル化は世界的に見ても高水準だということだ。

コンビニの決済システム、銀行のオンラインサービス、ECサイトの使い勝手。これらは国際的にも競争力がある。

問題は官民の連携不足だ。民間で培われたノウハウが、行政システムに活かされていない。規制と慣行が、イノベーションの移転を阻んでいる。

──── 今後への示唆

日本の電子政府は失敗したが、完全に諦める必要はない。

重要なのは、失敗の原因を正確に分析し、根本的な改革に着手することだ。表面的なシステム改修ではなく、行政プロセス全体の再設計が必要だ。

また、段階的な移行戦略も重要だ。一気にすべてを変えようとするのではなく、成功事例を積み重ねながら、徐々に範囲を拡大していく。

最も重要なのは、政治的意志と国民の理解だ。電子政府は技術プロジェクトではなく、社会改革プロジェクトなのだから。

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日本の電子政府の失敗は、技術の問題ではなく、社会システムの問題だった。この認識なしに、真の電子政府は実現できない。

デジタル庁の設立は第一歩に過ぎない。本当の戦いは、これから始まる。

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※本記事は公開情報に基づく分析であり、特定の組織・個人を批判することを目的としていません。建設的な議論の材料として提示するものです。

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