社内用語という閉鎖的コミュニケーション
社内用語は組織のアイデンティティを形成する重要な要素だが、同時に最も危険な思考停止装置でもある。
──── 言語の内向き進化
どの組織にも独特の用語体系が発達する。これは自然な現象だが、問題はその進化の方向性だ。
外部との接触を前提とした用語は、翻訳可能性を保持する。しかし、内部完結を前提とした用語は、次第に外部との互換性を失っていく。
「お客様目線で」「スピード感を持って」「シナジー効果を狙って」「アジャイルに対応」。これらの用語は、具体的な行動指針を含まない。にもかかわらず、組織内では「意味のある指示」として機能している。
これは言語の退化現象だ。
──── 意味の空洞化
社内用語の最大の問題は、使用頻度の高さと意味の曖昧さが反比例することだ。
よく使われる用語ほど、その定義が曖昧になる。そして曖昧だからこそ、様々な文脈で使いやすく、さらに使用頻度が高まる。
「品質向上」という用語を例に取ろう。この言葉を使わない会議はないが、具体的に何をどう向上させるのかを明確に定義している組織は少ない。
結果として、「品質向上のために品質向上を図る」という同語反復が成立してしまう。
──── 新参者への排除機能
社内用語は、意図的でなくても強力な排除装置として機能する。
新入社員、中途採用者、外部コンサルタント、取引先の担当者。彼らは最初、社内用語の壁に直面する。
「それってどういう意味ですか?」と質問するのは勇気がいる。特に、周りの全員がその用語を当然のように使っている場合は。
結果として、新参者は用語の意味を推測で補完するか、知ったふりをして会話を続ける。どちらも、組織にとって有害だ。
──── 思考の硬直化
最も深刻なのは、社内用語が思考そのものを制約することだ。
言語は思考の道具だ。曖昧な用語しか持たない組織は、曖昧な思考しかできない。
「顧客満足度向上」という用語で満足している組織は、具体的な改善策を考える必要性を感じない。用語自体が解決策であるかのような錯覚を生む。
これは、ジョージ・オーウェルの「ニュースピーク」の企業版だ。
──── 外部コミュニケーションの破綻
社内用語に慣れ親しんだ組織は、外部とのコミュニケーションで致命的なミスを犯す。
顧客向けプレゼンテーションで社内用語を多用し、相手の困惑した表情に気づかない。業界用語と社内用語の区別がつかなくなり、専門性のアピールのつもりが独りよがりの印象を与える。
特に危険なのは、社内用語を「業界標準」だと思い込むケースだ。自分たちだけの言語を、業界全体の共通言語だと錯覚する。
──── 改革阻害要因としての機能
社内用語は、組織変革の最大の敵でもある。
新しい取り組みを始めようとしても、既存の用語体系がそれを古い枠組みに押し込めてしまう。「DX」を「IT化」と読み替え、「アジャイル」を「迅速化」と解釈し、革新的な概念を既存の概念に矮小化する。
言語が変わらない限り、思考は変わらない。思考が変わらない限り、行動は変わらない。
──── 階層構造の強化
社内用語は、組織の階層構造を言語的に強化する。
上位層ほど抽象的で曖昧な用語を多用し、下位層ほど具体的で実務的な用語を使う。この言語格差が、階層間のコミュニケーションを困難にする。
「戦略的に取り組む」と指示する管理職と、「具体的に何をすればいいのか」を知りたい現場スタッフ。この間には、言語的な断絶がある。
──── 効率性への錯覚
組織は、社内用語が効率性を高めると錯覚している。
「共通言語があるから、説明の手間が省ける」「意思疎通が速い」「チームワークが向上する」。これらはすべて幻想だ。
実際には、曖昧な用語による誤解、意味の食い違い、具体性の欠如による行動の遅れが生じている。短期的な会話の効率と、長期的な業務の効率は別物だ。
──── デジタル時代の加速
デジタルツールの普及により、社内用語の拡散と固定化が加速している。
Slack、Teams、社内Wiki。これらのプラットフォームで社内用語が文字化され、検索可能になり、再利用される。結果として、曖昧な用語の使用頻度がさらに高まる。
AIによる文書生成も、この傾向を加速させる。既存の社内文書を学習したAIは、同じ曖昧な用語を再生産し続ける。
──── 国際化への障壁
グローバル化が進む中、社内用語は国際化の最大の障壁となっている。
日本企業特有の曖昧な表現は、英語に翻訳した瞬間に意味不明になる。「よろしくお願いします」「検討します」「前向きに考えます」。これらの用語に対応する英語は存在しない。
結果として、海外展開時に組織のコミュニケーション能力が著しく低下する。
──── 対処法の難しさ
社内用語の問題を解決するのは容易ではない。
用語の定義を明確化しようとしても、既存の利用者からの抵抗がある。曖昧だからこそ便利だった側面があるからだ。
外部のコンサルタントを入れても、彼らもまた独自の用語体系を持ち込む。結果として、社内用語と外部用語の二重構造が生まれるだけだ。
──── 個人レベルでの対策
組織全体の変革が困難でも、個人レベルでできることはある。
自分が使う用語の定義を常に明確にする。相手が社内用語を使った場合は、具体的な意味を確認する。外部の人間と話すときは、業界標準の用語を使う。
小さな積み重ねが、組織全体の言語環境を少しずつ改善していく。
──── 言語の透明性
健全な組織は、言語的に透明だ。
どの用語も、外部の人間が理解できる形で定義されている。新参者が質問しやすい環境がある。曖昧な指示は、曖昧なまま放置されない。
言語の透明性は、思考の透明性であり、組織の透明性でもある。
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社内用語は、組織のアイデンティティを示すものではない。思考停止の症状だ。
真に強い組織は、誰にでも理解できる言葉で、複雑な問題を説明できる。シンプルな言語こそが、複雑な思考を支える基盤となる。
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※本記事は組織論の一般的考察であり、特定の企業や団体を対象としたものではありません。