天幻才知

目標管理制度という名の成果主義の弊害

目標管理制度(MBO:Management by Objectives)は、現代企業における人事評価の標準的手法として定着している。しかし、その実態は「科学的管理」という名目の下で行われる従業員統制システムに他ならない。

──── 数値化という暴力

目標管理制度の根本的問題は、すべての業務を数値化しようとする姿勢にある。

売上、件数、時間、コスト。これらの定量的指標は確かに測定しやすく、比較しやすい。しかし、組織にとって本当に重要な価値の多くは数値化できない。

チームワークの向上、組織文化の醸成、長期的な信頼関係の構築、イノベーションの土壌作り。これらは目標管理制度では「成果」として認識されない。

結果として、数値化できる表面的な業務のみが重視され、本質的な価値創造が軽視される構造が生まれる。

──── 短期思考の制度化

四半期や半期ごとの評価サイクルは、必然的に短期的な成果を追求させる。

長期的な投資や研究開発、人材育成といった将来への種まきは、即座に数値として現れないため評価されない。むしろ、短期的な数字を犠牲にする「マイナス要因」として扱われることすらある。

これは個人レベルでの行動選択から組織全体の戦略まで、あらゆる層で短期志向を蔓延させる。

日本企業の競争力低下の一因は、この制度的短期思考にある。

──── 創造性の組織的抑圧

目標設定プロセスそのものが創造性を阻害する。

創造的な仕事の多くは、事前に明確な目標を設定することが困難だ。研究開発、新規事業、クリエイティブ業務において、「何を達成するか」を詳細に予測することは不可能に近い。

しかし目標管理制度は、曖昧さを許容しない。すべての業務に対して「SMART」(Specific, Measurable, Achievable, Relevant, Time-bound)な目標設定を要求する。

この結果、真にイノベーティブな試みは組織から排除され、予測可能で安全な業務のみが推奨されるようになる。

──── ゲーミフィケーションの罠

目標管理制度は意図せずして、業務を「ゲーム化」してしまう。

従業員は与えられた目標という「ルール」の範囲内で、いかに高いスコアを獲得するかに注力する。しかし、このゲームのルールは組織の真の目的と必ずしも一致しない。

営業担当者が月末に無理な値引きで数字を作る。開発者が品質よりもリリース日程を優先する。管理者が部下の成長よりも数値結果を重視する。

これらはすべて、目標管理制度というゲームで「勝つ」ための合理的行動だが、組織全体にとっては害悪でしかない。

──── 評価者の主観的判断の隠蔽

目標管理制度は「客観的評価」を標榜するが、実際には評価者の主観を巧妙に隠蔽する装置として機能している。

目標の設定過程、達成度の判定、評価基準の解釈、これらすべてに評価者の主観が入り込む余地は十分にある。

しかし、数値という「客観的」な外見によって、この主観性は見えなくなる。結果として、従業員は不透明な評価に対して反論することが困難になる。

むしろ露骨に主観的な評価制度の方が、その恣意性が明確な分だけ健全とも言える。

──── 協力関係の破壊

個人目標の設定は、組織内の協力関係を構造的に阻害する。

各人が自分の目標達成に集中する結果、他者への支援や組織全体の利益は二の次になる。時には、同僚の成功が自分の相対的評価を下げるため、積極的に足を引っ張る動機すら生まれる。

チームワークが重要とされる現代組織において、これは致命的な矛盾だ。

口では「チームワーク」を唱えながら、制度設計では個人主義を推進する。この分裂状況は、組織文化の混乱と従業員の疲弊を招く。

──── 内発的動機の破壊

心理学研究が示すところによれば、外発的報酬(金銭、昇進、評価)は内発的動機(興味、好奇心、達成感)を減少させる。

目標管理制度は、すべての業務を外発的報酬と結びつけることで、従業員の内発的動機を組織的に破壊している。

仕事そのものの面白さ、顧客への貢献、社会的意義。これらの本質的な動機よりも、評価での「点数稼ぎ」が優先される状況は、長期的に組織活力を損なう。

──── アメリカ流経営思想の輸入品

目標管理制度は、1950年代にピーター・ドラッカーによって提唱されたアメリカ発の経営手法だ。

しかし、日本の組織文化や労働慣行とは根本的に相容れない部分が多い。終身雇用、年功序列、集団主義といった日本的特徴と、個人主義的な成果主義は本質的に矛盾する。

この文化的不整合を無視して制度だけを移植した結果、組織内に深刻な混乱が生じている。

「日本的経営」の良さを捨て、「アメリカ的経営」の悪い部分だけを取り入れた典型例とも言える。

──── 管理職の思考停止

目標管理制度は、管理職から真の管理能力を奪っている。

部下の能力開発、動機付け、業務改善、組織運営。これらの複雑で高度な管理業務は、数値化された目標管理では代替できない。

しかし、目標設定と達成度チェックという単純な作業が「管理」だと錯覚する管理職が増えている。

結果として、組織の管理レベルは低下し、真のリーダーシップを発揮できる人材が育たない。

──── 代替案の模索

では、目標管理制度に代わる人事評価システムは存在するのか。

完璧な解決策は存在しないが、いくつかの方向性は考えられる。

長期的な成長と貢献を重視する評価、定性的な価値も含めた多面的評価、個人ではなくチーム全体での成果評価、評価者と被評価者の対話を重視するプロセス。

重要なのは、制度の完璧さを追求するより、制度の限界を認識し、人間的な判断と配慮を組み合わせることだ。

──── 現実的対処法

現在の制度下で働く個人ができることも限られているが、皆無ではない。

制度のゲーム的側面を理解し、適度に「攻略」しながらも、本質的な価値創造を諦めない。数値目標は最低限クリアしつつ、数値化されない価値にも注力する。

そして何より重要なのは、この制度が永続的なものではないという認識を持つことだ。

────────────────────────────────────────

目標管理制度は、科学的管理という美名の下で、組織の創造性と協力関係を破壊している。この制度的欠陥を認識し、より人間的で持続可能な組織運営を模索する時期が来ている。

数値で測れないものにこそ、真の価値がある。

────────────────────────────────────────

※本記事は特定の企業や制度を批判するものではありません。構造的問題の分析を目的としており、個人的見解に基づいています。

#目標管理制度 #MBO #成果主義 #人事評価 #組織運営 #労働問題