なぜ専門家の予測は外れるのか
専門家の予測が外れることは、もはや例外ではなく常態だ。経済予測、政治情勢、技術発展、自然災害─あらゆる分野で、専門家たちの予想は現実に追い越されている。
これは単なる偶然や能力不足の問題ではない。構造的な理由がある。
──── 専門化という罠
現代の専門家は、極度に細分化された領域の知識に特化している。
これは深い洞察をもたらす一方で、システム全体を俯瞰する能力を奪う。経済学者は経済を、政治学者は政治を、技術者は技術を独立した領域として捉えがちだが、現実はすべてが相互に影響し合っている。
2008年の金融危機を予測できた経済学者がほとんどいなかったのは、金融システムを他の社会システムから切り離して分析していたからだ。
専門知識の深化は、同時に視野の狭窄を意味する。
──── 線形思考の限界
多くの専門家は、過去のトレンドが将来も継続すると仮定する。
これは線形思考と呼ばれる認知パターンで、単純なシステムでは有効だが、複雑系では致命的な誤りを生む。
技術発展における「指数関数的成長」、社会現象における「ティッピングポイント」、経済における「バブルと崩壊」─これらはすべて非線形的変化の例だ。
しかし人間の脳は、非線形的変化を直感的に理解するのが苦手だ。専門家といえども、この認知的制約から逃れることはできない。
──── データの誤謬
「データに基づいた予測」という言葉は、科学的客観性を装うが、実際にはいくつかの根本的問題を抱えている。
第一に、データは常に過去の情報だ。未来を予測するために過去を参照することの論理的限界は明らかだが、しばしば無視される。
第二に、データの選択と解釈には主観が介入する。同じデータセットから正反対の結論を導くことは珍しくない。
第三に、重要な変化はしばしばデータに現れる前に起こる。社会的気分の変化、価値観の転換、技術的ブレイクスルー─これらは統計に反映される頃には、すでに現実を変えている。
──── インセンティブ構造の歪み
専門家の予測が外れる理由の一つは、彼らが置かれているインセンティブ構造にある。
メディアは極端な予測を好む。「来年も安定成長が続く」より「大恐慌が来る」の方が注目を集める。専門家は知名度や影響力を維持するために、意図的または無意識的に予測を極端化する傾向がある。
また、組織内の専門家は、組織の利益に合致する予測をする圧力にさらされる。銀行のエコノミストが不況を予測しにくく、政府の専門家が政策の失敗を予想しにくいのは、職業的制約によるものだ。
真実の追求より、生存戦略が優先される構造がある。
──── 複雑系の本質的予測不可能性
最も根本的な問題は、多くのシステムが本質的に予測不可能だということだ。
カオス理論が示すように、決定論的なシステムでさえ、初期条件のわずかな違いが結果に巨大な差をもたらす。ましてや人間の行動が関わる社会システムにおいては、予測の限界はさらに厳しい。
気象予測が数日先までしか信頼できないのは、観測技術や計算能力の不足ではなく、大気システムの本質的特性によるものだ。
同様に、経済や政治の予測にも原理的限界がある。
──── 自己実現予言と自己破壊予言
専門家の予測は、予測対象に影響を与えるという逆説的性質を持つ。
「銀行が破綻する」という予測が広まれば、実際に銀行は破綻する(取り付け騒ぎ)。「バブルが崩壊する」という警告が普及すれば、実際にバブルは崩壊する。
これは自己実現予言だ。予測が現実を創り出す。
一方で、「インフレが加速する」という予測に対して政府が対策を打てば、インフレは抑制される。これは自己破壊予言だ。予測が現実を変える。
どちらの場合も、予測の正確性を評価することは困難になる。
──── 認知バイアスの集積
専門家も人間である以上、さまざまな認知バイアスから逃れられない。
確証バイアス(自分の信念を支持する情報を重視)、アンカリング(最初の情報に引きずられる)、可用性ヒューリスティック(思い出しやすい事例を重視)─これらは専門教育を受けても消えない。
むしろ、専門知識が豊富であることが、自信過剰につながり、バイアスを増幅させることもある。
「専門家だから客観的」という仮定は、根拠がない。
──── では、どうすればよいのか
専門家の予測が外れるのは必然だとして、我々はどう対処すべきか。
第一に、単一の専門家ではなく、複数の視点を参照する。経済学者だけでなく、歴史学者、心理学者、技術者の意見を聞く。
第二に、予測ではなく、シナリオプランニングを重視する。「こうなる」ではなく「こうなったらどうするか」を考える。
第三に、予測の限界を前提とした意思決定フレームワークを構築する。不確実性を受け入れ、柔軟性を保つ。
第四に、自分自身も「予測する専門家」になることを避ける。謙虚さと好奇心を維持する。
──── 予測の価値を問い直す
そもそも、正確な予測は本当に必要なのか。
予測の価値は、当たることよりも、考えることにあるのかもしれない。未来について考える過程で、現在の前提を見直し、新しい可能性に気づく。
予測が外れることを前提として、それでも予測し続ける理由は、そこにある。
完璧な予測を求めるのではなく、より良い思考の道具として予測を活用する。それが、専門家の予測が外れる時代における、建設的な態度だろう。
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専門家への過度な依存は危険だが、専門知識そのものを軽視することも同様に危険だ。重要なのは、適切な距離感を保ちながら、多角的な視点で未来を考え続けることだ。
不確実性の中で生きることを受け入れ、それでもより良い判断を目指す。それが、予測不可能な世界での生存戦略かもしれない。
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※本記事は特定の専門家や予測を批判することを目的としておらず、構造的問題の分析を試みたものです。