企業研修という時間と金の浪費
企業研修は現代企業における最大級の資源浪費システムの一つだ。毎年数兆円が研修に投じられているが、その大部分は参加者にとっても企業にとっても実質的価値を生んでいない。
──── 測定不可能な「効果」
企業研修の最大の問題は、その効果が測定不可能であることだ。
「コミュニケーション能力向上研修」を受けた社員のコミュニケーション能力が実際に向上したかどうかを、客観的に測定する手段は存在しない。
「リーダーシップ研修」「チームビルディング研修」「マネジメント研修」も同様だ。これらの抽象的能力の向上を定量化することは不可能に近い。
結果として、研修の「効果」は参加者の主観的満足度や、実施側の自己申告に依存している。これでは検証可能性がなく、改善のサイクルも機能しない。
──── 形式主義の極致
多くの企業研修は内容よりも形式を重視している。
決められた時間数の履修、指定されたカリキュラムの消化、参加証明書の取得。これらが目的化し、実際の学習効果は二の次になっている。
特に大企業では、研修参加が人事評価や昇進の条件となっているため、社員は「やらされ感」を持ちながら参加する。この状態で効果的な学習が起こるはずがない。
研修担当者も「年間研修計画の消化」「予算の執行」が主たる関心事となり、研修の質的改善への動機が希薄になる。
──── 研修業界の利権構造
企業研修市場は巨大な利権システムとして機能している。
研修会社、コンサルタント、講師、会場業者、教材制作会社。これらの業界関係者にとって、企業研修の「需要」は死活問題だ。
そのため、本当に研修が必要かどうかではなく、いかに研修の必要性を企業に感じさせるかが重要になる。
「グローバル化対応」「DX推進」「働き方改革」といった時流に乗った研修テーマが次々と生み出され、企業の危機感を煽って需要を創出している。
──── 現場との乖離
研修内容と実際の業務との乖離も深刻だ。
座学で学んだ「理想的なマネジメント手法」が、現実の職場環境では全く機能しないことは珍しくない。組織の制約、人間関係の複雑さ、業務の特殊性、これらを無視した汎用的な研修内容では実用性がない。
特に外部講師による研修では、その企業の具体的状況を理解していない講師が、一般論を延々と語る場面が頻発している。
参加者は「きれいごと」として聞き流し、研修終了と同時に内容を忘れる。
──── 学習の個人差を無視
企業研修は参加者の学習スタイル、知識レベル、経験値の違いを無視している。
同じ研修に新人からベテランまでが参加し、同じ内容を同じペースで学習することを強いられる。これでは効率的な学習は不可能だ。
本来、効果的な学習は個人の現状に合わせてカスタマイズされるべきものだ。しかし、企業研修では「一律性」「公平性」が重視され、個別最適化は後回しになる。
結果として、誰にとっても中途半端な内容になりがちだ。
──── 時間コストの軽視
企業研修では参加者の時間コストが適切に評価されていない。
年収1000万円の管理職が丸一日研修に参加すれば、その時間コストだけで約5万円になる。これに研修費用、会場費、移動費を加えれば、一人当たりのコストは相当な額になる。
しかし、この高額なコストに見合う効果が得られているかどうかの検証は行われていない。
「研修は投資だから」という曖昧な理由で正当化され、実際のROIは測定されない。
──── OJTとの代替可能性
多くの企業研修で扱われる内容は、実際にはOJT(On the Job Training)で習得可能なものだ。
コミュニケーション能力、問題解決能力、リーダーシップ、これらはすべて実際の業務経験を通じて身につけられる。
座学での理論学習よりも、実践での試行錯誤の方が遥かに効果的な場合が多い。
にもかかわらず、わざわざ別途時間を設けて研修を実施する理由は、多くの場合「やっている感」の演出でしかない。
──── 研修依存症
企業研修の弊害の一つは、組織の「研修依存症」だ。
何か問題が発生すると、まず「研修で対処しよう」という発想になる。根本的な制度改革や組織構造の見直しではなく、研修による「意識改革」で解決しようとする。
ハラスメント問題→ハラスメント防止研修 生産性低下→生産性向上研修 離職率上昇→エンゲージメント研修
しかし、これらの問題の多くは研修では解決できない構造的な問題だ。研修は問題解決の先送りでしかない。
──── 代替案の存在
企業研修に代わる、より効果的な人材育成手法は存在する。
実践的なプロジェクト参加、メンター制度、外部研修への個別派遣、書籍購入補助、オンライン学習プラットフォームの活用。
これらの手法は、個人の学習ニーズに合わせてカスタマイズ可能で、コストも抑えられる。
重要なのは、「みんなで同じ研修を受ける」という発想から脱却し、個人の成長に真に貢献する支援体制を構築することだ。
──── 経営陣の責任
企業研修の浪費を放置している経営陣の責任は重い。
明確な効果測定もなく、巨額の研修予算を承認し続けることは、株主や社員に対する背信行為だ。
「人材育成は重要だから」という理由で思考停止し、研修業界の利権構造に加担している現状は看過できない。
真に人材育成を重視するなら、研修の効果を厳格に検証し、無駄な支出を削減すべきだ。
──── システム変更の難しさ
しかし、企業研修システムの変更は容易ではない。
既存の研修担当部署、研修業者との契約、社員の慣れ、人事制度との連動。これらすべてが現状維持の圧力として働く。
また、「研修を削減する」ことを提案すれば、「人材育成を軽視している」という批判を受けるリスクもある。
結果として、明らかに無駄だと分かっていても、研修は継続される。
──── 個人レベルでの対処法
組織レベルでの変革が困難なら、個人レベルでの対処が重要になる。
企業研修を「義務的な時間の消費」として割り切り、その間に自分なりの学習や思考を進める。あるいは、研修内容を批判的に分析し、その問題点を理解することで、逆に学習の材料とする。
重要なのは、研修に依存せず、自律的な学習習慣を確立することだ。
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企業研修システムの根本的見直しは避けられない。現在の形式的、一律的、測定不可能な研修から、個別化され、実践的で、効果測定可能な人材育成システムへの転換が必要だ。
それまでの間、私たちは企業研修の限界を理解し、それに依存しない自律的な成長戦略を構築すべきだろう。
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※本記事は企業研修制度の構造的問題を分析したものであり、個別の研修内容や研修会社を否定するものではありません。