会社の忘年会という年末恒例の無駄
12月になると、日本の会社員は年末恒例の試練に直面する。忘年会である。この制度化された集団飲酒イベントは、現代日本企業の非効率性と構造的問題を象徴する典型例だ。
──── 強制参加という名の自由意志
「自由参加です」と言いながら、実際には参加しないことが許されない空気が醸成される。
上司からの「みんなで楽しみましょう」という「お誘い」は、事実上の業務命令として機能する。部下は断る権利があると表面上は言われているが、断った場合の社内政治的コストを考慮すれば、選択肢は実質的に存在しない。
これは典型的な「偽装された自由」だ。形式的には選択権があるように見せかけながら、実際には選択を事実上不可能にするシステム。
日本企業に蔓延する「建前の自由、本音の強制」の縮図がここにある。
──── 階層維持装置としての機能
忘年会の真の目的は親睦ではない。既存の組織階層を再確認し、固定化することだ。
座席配置は役職順、乾杯の音頭は役員、お酌の順序も厳格に決まっている。普段のオフィスでは見えにくい権力構造が、アルコールという潤滑油とともに露骨に可視化される。
部下は上司の機嫌を取り、上司は部下に対する権威を確認する。これは「親睦」ではなく「服従の儀式」だ。
飲み会での振る舞いが人事評価に影響するという暗黙の了解は、この構造をより強固にしている。
──── 時間という貴重な資源の浪費
忘年会は通常、平日の夕方から深夜まで続く。参加者一人当たり4-6時間、準備や移動時間を含めればそれ以上だ。
50人規模の忘年会なら、合計で250-300時間の人的リソースが消費される。これは一人の正社員が約2ヶ月間働く時間に相当する。
この時間を業務改善、スキル向上、家族との時間、個人的な活動に使った場合の機会コストは膨大だ。
企業が「働き方改革」を叫びながら忘年会を強行するのは、論理的整合性の欠如を示している。
──── 経済的負担の転嫁
「会社負担」と言いながら、実際には様々な形で個人に経済的負担が転嫁される。
二次会、三次会への「自然な流れ」、上司への心付け、服装への配慮、帰宅のためのタクシー代。これらの「見えないコスト」は個人負担となることが多い。
特に若手社員にとって、月給に占める忘年会関連費用の割合は決して軽くない。
企業は「福利厚生」として忘年会を位置づけるが、実際には従業員への隠れた課税として機能している側面がある。
──── アルコールハラスメントの温床
「飲めない人にも配慮しています」と言いながら、実際にはアルコール摂取を前提とした環境が作られる。
ソフトドリンクを頼む人への視線、「少しくらいは」という圧力、酔った上司からの説教や過度な接触。これらはすべて、現代においては明確なハラスメントだ。
アルコール依存症、宗教的理由、健康上の理由、単純な好み。飲まない理由は多様だが、それらすべてが「空気を読めない」として否定される。
多様性を尊重するという建前と、同調圧力による均質化という本音の矛盾がここに表れている。
──── コミュニケーション手段としての前時代性
「普段話せない人と話せる」という建前があるが、これは現代的なコミュニケーション手段の欠如を示している。
Slack、Teams、社内SNS、定期的な1on1ミーティング。現代には効率的なコミュニケーション手段が多数存在する。
にもかかわらず、アルコールと大音量の環境でしかコミュニケーションが取れないとすれば、それは組織設計の根本的な問題だ。
忘年会でしか話せない関係性は、健全な職場環境の証拠ではなく、むしろその欠如を示している。
──── 世代間格差の拡大装置
忘年会への価値観は世代によって大きく異なる。
50代以上の管理職にとっては「当然の文化」でも、20-30代にとっては「理解できない慣習」である場合が多い。
この価値観の違いを「最近の若者は」で片付けることは、世代間の溝を深めるだけだ。
組織の若返りや多様性の確保を目指すなら、古い慣習への固執は逆効果でしかない。
──── 代替手段の可能性
忘年会の目的が本当に「親睦」なら、より効果的な方法は存在する。
業務時間内でのチームビルディング活動、選択制の小規模食事会、スポーツイベント、ボランティア活動。これらは強制性が低く、多様な参加形態を許容する。
重要なのは「一律の強制参加」から「多様な選択肢の提供」への転換だ。
すべての従業員が同じ形の親睦を求めているという前提が、そもそも時代錯誤である。
──── 経営陣の責任
忘年会の問題は、現場の問題ではなく経営陣の判断の問題だ。
「伝統だから」「みんな楽しみにしているから」という理由で思考停止することは、経営者としての責任放棄である。
従業員の時間と労力を最大限活用し、多様性を尊重し、健全な職場環境を作ることが経営陣の責務だ。
忘年会の継続は、これらの責務への向き合いを放棄していることを意味する。
──── 変化への第一歩
忘年会を廃止したからといって、組織の結束が失われるわけではない。むしろ、時代に合った新しい形の組織運営への転換点となる可能性がある。
重要なのは「やめる勇気」だ。慣習への盲従から脱却し、本当に価値のある活動に時間とリソースを投資する判断力。
忘年会の廃止は、組織の近代化への第一歩となり得る。
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忘年会は「日本企業の悪しき慣習」の象徴例だ。表面的な建前の裏に隠れた構造的問題を看過し続けることは、組織の健全な発展を阻害する。
年末の貴重な時間を、本当に価値のある活動に使う組織こそが、21世紀を生き抜く競争力を持つ。
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※本記事は個人的見解であり、すべての企業・忘年会を一律に批判するものではありません。健全に運営されている事例もあることを付け加えます。