アカウントベースドマーケティングという非効率な営業
アカウントベースドマーケティング(ABM)は、現代B2B営業の標準戦略として広く採用されている。しかし、その華々しい理論と実際の効果には大きな乖離がある。ABMの本質は、非効率な営業活動を精巧な理論で覆い隠すシステムに他ならない。
──── ABMの表面的魅力
ABMは「重要顧客に特化したマーケティング戦略」として説明される。
従来のマス・マーケティングに対して、特定の大口顧客に営業・マーケティング・カスタマーサクセス部門が一体となって取り組む「精密なアプローチ」を標榜している。
理論上は効率的に見える。リソースを分散させず、確実性の高いターゲットに集中するからだ。
しかし、これは表面的な合理性に過ぎない。実際の運用では、ABMは逆に非効率を拡大再生産するシステムとして機能する。
──── リソース配分の根本的誤謬
ABMの最大の問題は、リソース投入量と成果の関係性に対する楽観的な前提にある。
「重要顧客により多くのリソースを投入すれば、比例的により多くの成果が得られる」という単純な線形思考がその基盤だ。
しかし現実には、顧客の購買決定は営業側のリソース投入量とは無関係な要因で決まることが多い。
・顧客企業の予算サイクル ・内部政治的要因 ・競合他社の動向 ・経済環境の変化 ・技術トレンドの変遷
これらの外部要因は、どれだけ「パーソナライズされた提案」や「継続的なタッチポイント」を用意しても制御不可能だ。
結果として、ABMは「やった感」を演出するための高コスト・低効率システムになる。
──── 測定可能性という幻想
ABMが組織に受け入れられる理由の一つは、その「測定可能性」にある。
エンゲージメント率、タッチポイント数、コンテンツ閲覧時間、商談進捗度、といった数値指標で進捗を可視化できるため、経営陣に対する説明責任を果たしやすい。
しかし、これらの指標は営業活動の「活発さ」を示すものであって、実際の成果とは直結しない。
むしろ、測定可能な指標を追いかけることで、測定困難だが本質的に重要な要素(顧客の真のニーズ、市場環境の変化、競合戦略の転換など)が見落とされる。
これは「測定可能なものだけが管理される」という組織的近視眼の典型例だ。
──── 人員配置の非合理性
ABMは往々にして、組織内で最も能力の高い営業担当者を特定の大口顧客に専属的に配置する。
この配置は一見合理的だが、実際には組織全体の生産性を低下させる。
優秀な営業担当者の能力は、複数の案件を並行処理し、多様な経験から学習することで最大化される。単一の大口顧客に専属化することは、その学習機会と成長機会を制限する。
さらに、大口顧客との関係が悪化した場合、その営業担当者の業績は壊滅的になる。リスクの集中は、個人レベルでも組織レベルでも非効率を生む。
──── 競合優位性の錯覚
ABMを採用する企業の多くは、「競合他社よりも深い顧客理解」や「より密接な関係構築」によって差別化できると考えている。
しかし、現実には競合他社も同様のABM戦略を採用しているため、結果的に業界全体の営業コストが上昇するだけに終わる。
これは軍拡競争と同じ構造だ。全員がより高度な武器を持てば、相対的な優位性は変わらず、コストだけが増大する。
顧客企業の立場から見れば、複数の企業から同様の「パーソナライズされた」アプローチを受けることになり、その差別化価値は急速に希釈される。
──── 長期的関係という美名の下での依存
ABMは「長期的な顧客関係の構築」を重視する。
これは一見健全に思えるが、実際には売り手・買い手双方に不健全な依存関係を生み出す。
売り手側は特定顧客への依存度が高まり、その顧客の機嫌を損ねることを過度に恐れるようになる。結果として、必要な価格交渉や条件調整ができなくなる。
買い手側も、特別扱いされることに慣れてしまい、過度な要求をするようになる。「長期的パートナー」という名目で、不当に有利な条件を要求する傾向が強まる。
この相互依存は、短期的には安定しているように見えるが、市場環境が変化した際に双方にとって大きなリスクとなる。
──── イノベーションの阻害要因
ABMは既存の大口顧客への最適化に特化するため、新規市場や新規顧客セグメントへの展開を阻害する。
組織のリソースが既存顧客の維持に集中することで、新しい機会を探索する余力がなくなる。
これは「既存顧客最適化の罠」とでも呼ぶべき現象で、短期的な売上安定と引き換えに長期的な成長機会を失う結果をもたらす。
特に技術進歩が激しい分野では、既存顧客のニーズに過度に適応することが、将来的な競争力の源泉となるイノベーションを阻害する可能性が高い。
──── 代替案としての確率論的アプローチ
ABMに代わる効率的なアプローチは、確率論的思考に基づく営業戦略だ。
個別顧客への集中投資ではなく、多数の潜在顧客に対する効率的なアプローチを重視する。具体的には:
・標準化されたセールスプロセスの確立 ・多数の見込み客への並列アプローチ ・データドリブンな優先順位付け ・短期サイクルでの仮説検証 ・リソース配分の柔軟な調整
このアプローチは「特別感」や「パーソナライゼーション」といった感情的満足を犠牲にするが、数値的効率性では圧倒的に優位に立つ。
──── 組織的合理性vs個人的合理性
ABMが広く採用される理由の一つは、組織内の個人的インセンティブとの整合性にある。
営業マネージャーにとって、ABMは「戦略的思考」や「高度な営業手法」を実践している証拠として機能する。キャリア上のアピール材料になる。
営業担当者にとっても、大口顧客の専属担当という地位は社内での権威を高める。
しかし、これらの個人的合理性が、組織全体の効率性を犠牲にしている。
──── 結論:効率性への回帰
ABMの非効率性は、本質的にはリソース配分の最適化問題だ。
限られたリソースをどこに投入すれば最大のリターンが得られるかという問題において、ABMは感情的・政治的要因を過度に重視し、数値的合理性を軽視している。
真に効率的な営業組織は、個別顧客への感情的コミットメントよりも、全体最適化された確率論的アプローチを採用する。
それは冷徹に聞こえるかもしれないが、結果的により多くの顧客により良い価値を提供することになる。
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ABMは21世紀の営業理論として洗練されているが、その本質は20世紀的な人間関係重視営業の延長に過ぎない。デジタル時代には、より合理的で効率的なアプローチが求められている。
※本記事は特定企業の営業戦略を批判するものではなく、一般的なABM手法の構造分析を目的としています。